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tai_yuka
沖縄 沖縄ほにやで経験した論法
沖縄にいて、所属していた沖縄ほにやで経験した事。
主に不特定多数と知っている人に言われて苦しんだこと。
「あなたは何をしたいのかわからない」と言われる。
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言われてどうしようもなく答える。
「〇〇についてやっている。これはね~で」と言うと、「難しいからわかんない」と言われる。人によっては「役に立たない」、「自己満足」と言ってくる。
「何かあったら相談して」という言葉に対して応じた時も同じだった。
又は「哀れみ、心配してくること」に対しての応答でも同じ。
とにかく相手が悪かったのもある。
「何しているか理解できない」と言われていたので、悔しかったので、ある時、ある事をネタに新聞投書を書いて採用されたことがある。
当時、国勢調査の営業してて、顔を覚えてもらった人には「文書が採用されているよ」と言われてうれしかった。
しかし、その一方で沖縄ほにやに連中に持って行っても、反応が乏しかった。回答を自分が聞きにいかなかったのもあるが、メールでの変身も皆無に等しかった。聞きに行こうとしたら逆切れで反発される苦い過去があることもあり。数か月後に顔出しても、当初の件の感想皆無だった。
結局、「この人、別の事して中身がない」といういわれをされているような感じになった。沖縄は明るそうに見えても、無気力さだけは生産されて再生産される場所と分かった。
活気づいているのは、音楽、祭り、飲んだくれ祭り、基地反対運動のみかもしれない。沖縄ほにやの場合は、よさこいマンセーに同調して陶酔して、賛美することが良いのだろう。当然か。彼ら彼女らは、よさこい踊りが楽しいかどうかでしか人間扱いしないから。
沖縄にはまって戻ろうにも戻れず、悪循環した結果だ。
人間お互い様だとしても。