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共感による支配

ある踊り団体のモットー
「見る人も踊る人も楽しく」と

この言葉には、見る人と踊る人、両者が楽しくある事が出ている。
互いに楽しくあれともいえる。

ある女性

ある純粋そうに見えた女がいた。錯覚してた。
彼女は共感した対象に対し、包括する。

包括しているが、包んだ対象が人間ならば、そこから離れようとすると、強いヒステリーを起こす。共感しているからだ。
彼女は疑似的な母親を自覚しているのかもしれない。

彼女の背景には踊り団体がある。
その社会背景によって自己の存在性が強くなり、代弁者としているのかもしれない。

特徴

今思うと、彼女は自分の意識を言葉にすることができなかった。
できないと言うより、言葉にすることを恐れていた。一方的な物に対して明確に「no」と言えない。

そして、鋭い指摘に対してどこか恐れている。
彼女は彼女自身を分析されたくはない。どこか聖なる存在に扱おうとしていた。無関心な物に対し、偉い人の一声で態度を変え関心あるような態度を作る。
私はこの女性には嫌われている。SNSで昔、一方的に意見言いすぎたからだ。それで拒絶された。それであからさまに踊り団体にいた時にメーリングリストに批判された。そして彼女は自分は被害者となり、周囲を味方につけた。

私に悪い所があり、原因があった。
しかし、この女性もどこか、よそよそしく違和感もある。
彼女は共感性を縄張りにし、どこかそれに逆らうとヒステリックになる。
他に踊りの練習で教えられている時にも、踊りを楽しめないと怒り出す。「なぜ楽しめないのか?」と。そのケースは疲れている時だった。
他に一度辞めたいと彼女に言うと逆切れされた。

まとめ

まとめると、彼女は共感性で縄張りを作り、対象を共感性で支配しようとしていると思った。その為に共感性で周囲に好かれようとする。人気者になり、働き者になる。又は踊り団体のアイドルにもなり、代弁者になろうとする。代弁者になる事で、同調力を高める。

一見好ましくは見える。
しかし、彼女にとってその人間の対象が共感できないのになると、村八分にされる。それは彼女がこの組織の中心で、彼女にとって共感できるものを包括しているから。それから疎外されると、全てが彼女の味方になり、彼女は被害者となり同情される。私はそれで孤立気味な感情になった。
孤立により、共感対象に戻ることはなかった。自分には一方的とは言うが、踊りのイデオロギーで彼女も一方的だった。彼女はそれに無自覚だった。

他にリーダーはいるが、実質権力を持つ一人が彼女だったところがある。

母系社会で村はずれになった気分に近いかもしれない。会社でも女性が上司になると、同じかそれと近い状態に起こるかもしれない。



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