沖縄ほにや 中毒性
沖縄ほにやという団体の中毒性は、内部では踊りに対する共感→同調性が強く、この同調性が離れると無関心にされて、阻害を味わう。
味わうと同時に、外に目を向けても、対応する場所かない。陶酔性に認められたいから、執着しやすかった。私の場合。
沖縄の場合、仮にサークルにいても他はない。サークル自体が部族の疑似空間に近い。縄張りもある。離れると、裏切り扱いにされるし、人によっては、残れと脅しもしてくる。それ以上に他がなく、孤立気味だった。
沖縄ほにやには、それはないが、宗教的なカルト性はあった。それが執着になった。
分析する以前に、あの自己陶酔する雰囲気に愚痴る言葉がなかったし、自己陶酔において、疑問に思う人は当時もいなかった。
皆が自己陶酔に対して、言語を作ることには否定的だったのかもしれない。
沖縄ほにやの人々には、それを分析することはできないと思う。それが当たり前としか思ってない。
彼らは彼らに対して無知だから。