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思い出
よさこい踊りの記憶
バカヤロウと言いたくなった。
沖縄時代になる。沖縄の奴らがよさこいの踊り団体作っていた。
そして、高知のよさこい踊りとその団体をありがたがっていた。
見ていて違和感だった。
あれだけ沖縄県民は沖縄の歴史、琉球王国を誇りにしてて、自信ありげに沖縄を誇りしているのに、高知のよさこい踊りは素晴らしいと、崇拝、賛美、陶酔していた。特に女性は陶酔している人が目立っていた。
それを見て思うのは、そこに入ってからすぐだったと思う。
何かの矛盾を感じた。元々、よさこい踊りを沖縄に入れることにより、新しい文化をと言っていた。
どこか、賛美の仕方にバランスの悪さを感じた。自己陶酔の過程で煽りの部分もあった。思うのは、琉球王国の文化を誇りに思っているならば、どうして高知のよさこい踊りに陶酔するのだろうか?文化を作ると言うならば、あまりに幼稚に見えた。同時に作るならば幼稚さを持っていてもどこか、客観的な視野が乏しかった。
全体的に客観性がなく無邪気すぎた。
むしろ自己陶酔するための共感性が強く、同調するノリが濃かった。その上で結束力のすごさを言う部分もあった。共感性が強い反面、縄張り意識も強かった。私はこの空気に内部にいるときに明確に言葉にすることができなかった。やめてみて初めて批判と共に言葉にすることができた。
そして、批判したら、彼らはよさこい踊りをする気概を言うこともなく黙った。これは沖縄のほかでも多くあった。ある一定の批判をすると、なぜか沖縄の人は沈黙していく。そして批判した人間を干すような目で見て、いないもののように扱う。踊り団体は自分たちを誇らしく、そして高知の踊り団体を賛美し、価値だと言っていて、威勢がいい。これは団体になると強くなる。自分が批判的になるのは、ここにいた時に、理不尽に事をされたり、何かの役割を組織内の公募で請け負っても、役割をするにも反古にされたり、横やりが入うことがあった。他には些細な言葉のずれを言われて、言おうとしたら抑えつけられたことなどによる反動で。
彼ら、彼女らはどこか、永遠の春がいつまでもあるような感じで、高知のよさこい踊りを賛美、陶酔してた。どこか、物事の移ろいに対して希薄で、物事の盛衰という物がなかった。おそらくこれは、団体のリーダーが創価の人間であることが大きいと思う。この人間は自力本願を言っていた。同時に踊りの価値を煽る面もあり、盛衰に対して無頓着に見え、よさこい踊りの価値観を創価学会の価値観に包み、絶対化していたように思う。
ここは私には創価学会の疑似空間だったのかもしれない。お経の勤行がない代わりに踊りへの自己陶酔は勤行に対応するものだったかもしれない。そして固定的なものだった。
比較
高知の踊り団体は、1年毎によさこい踊りを作り夏のよさこい祭りで行う過程で踊り子を募集する。つまり毎年踊り団体を作り、踊りを作る事にて団体をリフレッシュさせている。この仕組みは、のれん分けされた沖縄の踊り団体にはなかった。沖縄の踊り団体の場合、共同体の村落的なものに立脚してなってて、高知の仕組みを真似ることはできなかった。沖縄の踊り団体の場合、もたらされた有限な価値観によってなり、この価値の更新でなる。
しかし高知の踊り団体の場合、毎年踊るメンバーを募集して、リフレッシュする。この仕組みは、踊りを毎年作る過程で入るメンバーを入れ替えている。概念で言うと無縁性によって、作られたこれまでの縁を否定して、新しく作り変えることになる。沖縄の団体にはそれがなかった。
感想
沖縄の島には有の観念はある。しかし無はなかった。生活してて実感した。無は海に行かないないと無い。日本の場合、仏教の浸透が古くからあるためか、無の発想がある。沖縄の場合、仏教が入るのは比較的数百年前に入った為か浸透してない。このギャップがあるためか、私の中に無の概念が沖縄のんかには乏しかった。
踊り団体にいても、沖縄の人間は楽しむことが先行していた。私には難しいので、心を無にしてやるようにしていた時がある。彼ら、彼女らは楽しむことにばかり意識していて、私の肌に合ってなかったと思う。あの雰囲気にはついていけない。