こたつとノートパソコンと猫のマール【短編小説】
そろそろあたたかくなってきたので、こたつの布団は片付けた。
冬の間、主に猫の寝床として大活躍してくれたこたつだが、春になれば普通のローテーブルに戻る。そこに座ってノートパソコンで原稿を書いていると、猫のマールがやってくる。マールはあぐらをかいた俺の膝に乗って、丸くなって、大抵すぐ寝てしまう。俺はしばらくマールをそのままにしておいて、脚が痺れてきたらどいてもらう。マールは不満そうに「まおー」と鳴きつつ、俺に寄りかかってまた眠る。
夏が来るまでは、そんな光景が繰り返される。
マールはもともと保護猫だった。近所で「まおまお」鳴いている猫がいるなあと思っていたある秋の夜のこと、コンビニまで行こうと外に出た俺に、灰色の猫がすり寄ってきた。いやに人なつこいから飼い猫だろうと思い、ちょっとだけ触らせてもらおうとしたら、すごく汚れているのがわかった。放っておくのも忍びなくて、家に連れて帰って、石鹸で洗ってみたら、実は白い猫だった。
それからいろいろと大変だった。当時はペット不可の物件に住んでいたから、大家さんに事情を話して「飼い主が見つかるまで」という約束で猫を保護する許可をもらった。警察に電話したり、近所の動物病院を回ったり、SNSで拡散してもらったりして探してみたが、マールの元の飼い主はいっこうに見つからなかった。
保護三か月めに入って、「そろそろ……」と思い始めた頃、大家さんからも「そろそろ……」とつつかれて、とうとう引越しすることになった。ペット可物件への引越しだ。
そうしてマールはうちの猫になった。
それから二年が経って、マールはこたつ、俺の布団、俺の膝の順で自分の居場所を主張するようになっている。
マールという名前は、「まおまお」鳴くところからつけた。「マオ」にしようかと最初は思ったんだが、むかしむかし、そんな名前の女の子と付き合ったことがあるようなないような、なんだか悲しい記憶が掘り起こされてしまいそうだったので、同じく「ま」を使う「マール」に決めた。
と、なんで長々猫の話をしているかというと、今回のテーマのせいだ。
「もし明日死ぬとしたら、誰に何を伝えたいですか?」
編集長からこのテーマをもらった時、正直困った。いまも困っている。なぜならこのテーマを見ても何も出てこないからだ。「ありがとう」も「ごめんなさい」も、言いたいことは普段から言っているつもりだし、いざ明日までの生命《いのち》だと聞いても、はっきり言って未練はない。適当に生きているから財産も何もあったものではないし、他に遺せるものもないし、自分が死んだ後になんて興味はないし、なんならその辺に死体を捨てておくくらいでも構わないかなと――いや、これは言い過ぎたかもしれない。ごめん。謝る。だけど、そのくらいのいい加減さなんだなというところまでは、察していただきたい。
そんなだから、「もし明日死ぬとしたら」と言われても、まあいつも通り普通に過ごして普通に死ぬんじゃないかなあなんて、まったりにもほどがあるようなことしか思い浮かばない。どうしようかと二週間くらい考えていたら、マールを拾った時のことを思い出したというわけだった。
それで、もし明日死ぬとしたら、信頼できる友人と、実家の母親に、こう書き送ろうと思った。
「マールの餌お願い」
――という原稿をテキストファイルにして送ったのが、昨日だった。
これはエッセイを載せてもらっているフリーマガジン向けの原稿だ。一年ほど前、たまたまウェブサイトで原稿募集の告知を見て、ものは試しと思って送ってみたら編集長が気に入ってくれた。数回単発で載って、それから連載を持たせてもらえることになって、いまに至る。
今日になって、編集長から電話が来た。
「原稿確認したよ」
この人はのんびりした気さくな人だ。そして俺の書いたものを気に入るくらいだから、適当な人でもある。
「あれで大丈夫でしたか?」
「いいんじゃない? 実にタカフジ君らしくて、僕は好きだな」
編集長は笑っていた。
タカフジというのは俺のペンネームだ。といっても、本名の苗字が高藤《たかふじ》だから、ペンネームというほどのペンネームでもないのだが。
「でも、せっかくだから写真を入れたいね。猫のマール。来週にでもうちのカメラマンに撮らせてもらおうかな」
「はあ。別に構いませんけど」
「マールはいまそこにいるの?」
「いますよ」
マールはいつものように俺の膝に乗って眠っている。来週にでも、と言われた来週は、もしかしたら来ないかもしれない(「もし明日死ぬとしたら」の話だ)。それでもこうやってマールは俺の膝に乗ってくるし、俺はしばらくそのままにしておいて、脚が痺れてきたら下ろす。ほとんど毎日同じことを繰り返して、マールはマールの、俺は俺のペースで暮らしている。
まあ、でも、「俺に何かあったら」の話くらいは、前もってしておいた方がいいかな。エッセイに書いた通りの、信頼できる友人と、実家の母親に。
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