【小説】 蒼(あお)〜彼女と描いた世界〜 第3話
第3話 飯屋のオヤジ
ジャンのオーダーメイドの洋服屋に今日もお客さんがやって来ていた。
「こんにちは〜。例の服、出来たかな?」
ひょっこりとジャンのお店にやって来たのは、もっさりとした髪、流行には疎そうな45歳の背の低いオヤジだった。
彼は隣町で飯屋を営んでいた。
ぽってりと膨らんだお腹には、緑色のウエストポーチ。上に来ているボーダーのポロシャツと同じ色だ。緑色が好きな飯屋のオヤジの名前はウィリアム。ジャンにオーダーしていた緑色のジャケットを取りに来ていた。
「出来ていますよ」
前にデッサンしていた切れ目だらけのジャケットは、ウィリアムのものだった。奥の部屋から緑色のジャケットを持ってきて、ジャンはウィリアムに渡した。
ウィリアムは、うんうんと頷いてさっとその場でジャケットを羽織って見せた。
ぽってり出たお腹をガバッと隠してたちまちウィリアムはお洒落な雰囲気になった。
「ジャケットの中には、シンプルに白のシャツやTシャツが合わせやすいと思います」
全部を緑色で揃えてしまいそうなウィリアムに、ジャンはコーディネートのアドバイスをした。
「そうかそうか。じゃあ、帰りに白色のシャツも買って帰ろう。どうかな? イケてるオヤジになったかな?」
満足そうに鏡を見ながら、ジャケットの襟元を正して聞いた。
「とても、お似合いです」
「ありがとう」
ウィリアムは嬉しそうに角度やポージングを変えながら鏡に映る自分を見ていた。そして、
「うち、飯屋をしているのだけれども、そこにこの間すごく綺麗な男の子が来てね。良いなぁ。あんなにかっこ良かったら、人生楽しいだろうなぁ。って、従業員と話していたら、『髪型と洋服でだいぶ印象が違いますよ』って、店の女の子に言われてね。ここを教えてもらった訳だよ。この年になっても、やっぱりモテたいなって思っちゃうね。後は髪でも整えればイケてるオヤジかな」
ウィリアムは上機嫌で髪をかきあげながら言った。
「そうですね。……それと後は、ジャケットに合わせて、パンツもよかったら是非」
ウィリアムはダボっとしたクタクタのジーンズを履いていた。
「そうだね。やっぱりこれを注文した時に悩まず一緒に頼んでおけば良かったな。一応サイズも測っていたし、パンツもまたお願い出来るかな」
「ありがとうございます」
ウィリアムは2着目の注文をして、意気揚々と帰って行った。
その様子を、ジャンの家に遊びに来ていたリリーが、こっそりと覗き見をしていた。
ウィリアムが帰って行ったのをしっかり見届けて、ジャンに話しかけた。
「あのお洋服、あの人の為に描いていたのね。お洋服だけであんなに雰囲気が変わるなんて。やっぱりジャンは天才ね。……もしくは魔法使いかしら」
そう言って、楽しそうに笑った。
「ありがとう。『ちょっと人より目立つ、洒落た緑のジャケットを作ってくれ』って、頼まれたんだよ。あんなに喜んでくれたら、頑張って作った甲斐があるよ」
ジャンは照れた様子で頭を描きながら言った。
「いいなぁ。私も人間になって、ジャンに素敵なお洋服作ってもらいたいなぁ」
リリーはくるくる飛びまわりながら夢見るように言った。
「ははっ。そしたら、君には特別なドレスを作るよ」
「やったー!約束ね!」
「うん」
「はぁ〜、……良いなぁ、お仕事。お仕事って楽しそう」
ジャンは、リリーに褒められた後なので上機嫌に返した。
「楽しいよ」
それから続けて、
「でも、僕は君たち妖精の方が楽しそうで羨ましいけれどね」
「なんで?」
「仕事もしなくて良くて、お金にも困らない。自分の時間をずっと自由に使えるなんて最高じゃないか」
「そうかなぁ」
「そうだよ。仕事は好きだけれど、決まった時間に起きて、決まった時間にお店を開けて、決まった日だけ休む生活。……人間も、もっと君達みたいに自由だったら良いのに」
「でも、人間の方が、怒って、泣いて、笑って。お洒落して。楽しそう。私たちのすることなんて、あちこち飛んでまわるくらいよ」
リリーはくるりとまわって言った。
「まぁ、じゃあ、無い物ねだりかな」
リリーは、ニコリと笑った。
今度は、ジャンの周りをくるくると飛びまわりながら、リリーは質問した。
「ねぇ、ジャンは今の生活全部やめて、冒険に出たいと思わない?」
「どうしたの? 突然」
「この、グルリと囲まれた森を抜けると、全然違う世界に繋がる扉があるって言う噂、あれ、ジャンは本当だと思う?」
「誰も帰って来たこと無いって噂だけど?」
「そう! やっぱり素敵な世界に繋がっているから、誰もこっちに帰って来ないんだと思うの!」
「いや、ただ遭難しているだけじゃない?」
「探しに行った人も帰って来ないんだよ? きっと帰りたくなくなったのよ!」
「どうしてそんなに前向きなの? 僕はただ危険な森としか思わないよ。凶暴な生き物が住んでいるのかも」
「素敵な世界が広がっているのかも」
「じゃあ、君が飛んで行ってその目で確かめて来たら?」
「妖精の世界の決まりで、あの森に入る事は禁じられているの」
「禁じられているの? 何で?」
「私にも分からない。だから私、何があるのか確かめてみたい!」
「本当にあの森に入りたいの? 禁じられているなら危険なんだよ。やめておいた方が良いよ。……なんで突然そんな事言い出したの?」
「……ジャンに、出会ったから」
「僕に?」
リリーは頷いて、
「あの森、一人じゃ扉に辿り着けないらしいし。ジャンだって日々に飽き飽きしているでしょう? 私、ジャンと一緒だったら、扉を抜けて違う世界にも行ってみたい。何か私もワクワクする様な、すごく今を生きている!って、感じられる魔法の様な瞬間に出会えるかもしれない!」
「魔法のような瞬間?」
「うん。ジャンも全然違う人生を体験してみたいと思わない? お洋服屋さんじゃない自分。もっと自由に自分の時間を使えるかもしれない」
「……自由に?」
リリーは、目を大きく見開いてうんうんと頷きながら、
「そうよ。好きな事ばかりして、たまにはお洋服も作って楽しんで、お金の事も、お店を開ける時間も気にせず、自分のアイデアが出て来た時だけ、ゆっくりコーヒーを飲みながら作るの」
「そんな風に過ごせたら最高だね」
「ねぇ、じゃあ行ってみよう!」
リリーはジャンの手を掴んだ。
ジャンは、
「……さっきのお客さんのパンツも作らないといけないし、ここに来てくれるお客さんをほったらかして行けないよ」
そう言って、リリーの手を優しく離し、先ほど帰っていったウィリアムが注文した商品について、紙にメモを取り始めた。
「……つまんない。ジャンも行きたくなってくれたかと思ったのに」
リリーは、フワッと羽根を広げて窓から外に飛び出して行ってしまった。