朗読教室「死んだ男の残したものは」
8月6日、75回目の広島原爆忌・・8時からのNHKの式典の様子を見て、そうだった・・と思い出す。
久しぶりのおひさまギラギラの日で、布団をすべて干し掃除ほか家事を済ませ午後は朗読教室へ。
教材は、㈱童話屋刊 ポケット詩集195ページより、谷川俊太郎作「死んだ男の残したものは」だった。
1小節目・・「死んだ男の残したものは・・」
2小節目・・「死んだ女の残したものは・・」ん??私の残せるものはなんだろう・・
3小節目・・「死んだ子供の残したものは/ねじれた脚と乾いた涙/他にはなにも残さなかった/思い出ひとつ残さなかった」・・えっ・・もしかして・と最後まで読みすすめ、戦争をテーマにした詩だと理解し、朝にテレビで見た広島原爆忌式典の様子が頭の中で再現されていた。
詳細を調べてはいないのだが、講師や先輩から聞くところによると、この詩は1965年、ベトナム戦争の反戦歌として作られたものらしい。曲もつけられ広く歌われていたそうだ。(先輩は石川セリさんの歌っているバージョンが好きだと語ってくれた)
私は全くの初見で、なんと希望がなく絶望感いっぱいの詩なのだろうと思いながら何度か声に出して読むのだが「死んだ子供の残したものは・・」の節にくると涙声になるのをこらえる有様だった。
ベトナム戦争当時、リアルタイムでニュース等で見て知っていたという先輩たちの朗読は淡々としているようでいて、とても深い感情がこもっているように聴こえる。私の泣きたくなるなんて気持ちはちっぽけで薄っぺらな感傷にすぎないなあと思わせてくれる。そしてふっと目がさめて視界が広くなった気がした
毎日マスクをつけて行動しコロナ感染状況の話題に、すっかりびくびくし窮屈に縮こまっていた自分を再確認した。けれど、この詩を声にだして読み、聴いていううちに、そりゃあコロナは怖いけれど、こんな詩ができてしまう戦争状態をおもえばいかほどのことなのかと思う。たとえばコロナに感染しても本当に幸いなことに医療関係者ほか助けようと懸命に働いてくれる人は大勢いる。。ほんの一瞬で、わけもわからず命をおとしてしまうこともあるであろう戦争時を思えば今の時代に生きていることを幸せなことだと感謝しなければならない・・
おぉそうか、と書きながら、今気が付いた。。講師の先生は「・・感謝の気持ちをもってほしい・・」みたいな話をしていたけれど、そういうことかな。
長崎原爆投下の日もすぐ来る。8月15日の終戦の日だ。美しい講師の先生は「何度も何度もこの詩を声に出して読んでほしい」と話していた。何度も何度も読もうと思う。
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