小町という白猫について④
中学の同級生が家の敷地で生まれた子猫の里親を探していて、その時に出会ったのが小町だ。
里親が見つからなかったらどうなっていたかわからない猫を一匹もらったことで、なんとなく「善行をした」というか、一匹の子猫を救ったような烏滸がましい思いをどこかに持っていたような気がするけど、本当に救われていたのはずっとずっと私の方だった。
尿毒症の影響で、今朝から水すら飲めなくなった。小町はもう、立つことすらままならない。
寝返りで体勢を変えるのがやっとという感じなのに、自力で歩いてトイレに行こうとする。
途中で力尽きて倒れるからトイレまで運んでやると、用が済んだらタタタと走ってテーブルの上に飛び乗った。案の定、疲れたんだろう、舌を出してはぁはぁしている。
しんどいはずなのになんでそんなことをするんだろう、と思って、はたと気づいた。
小町は、母や私が机の上で作業している時、それを観察(邪魔)するのが好きだった。
私のiPadの角に額を擦り付け、カバーで爪を研ぐのが好きだった(何度止めたことか)。
これを書いている今も、小町は小町の「いつも通り」をやりたいだけなんだろう。
人間が毎晩毎晩泣いている理由も、小町はわかってないんだろう。
呼吸苦しいんだからおとなしくしといてよ、とか、トイレまで行かなくていいからペットシーツの上でしなよ、とか、一秒でも長く生きてほしい人間のエゴだ。本当は小町のやりたいようにさせてあげて、それを静かに見守るべきなんだろう。猫を尊重するのは難しい。
ぐったりと寝そべる小町を見ながら、思春期の頃、どこにも居場所がないように感じてひとり部屋で泣いていた私に寄り添ってくれた小町のことを思い出している。
私は普段、それほど涙もろい方ではないと思うけど、小町の前では昔から泣いてばかりだ。たぶん泣き虫な人間だと思われている。もうほとんど歩くことができない小町がテーブルに飛び乗ってきたのは、「ハァーこいつまた泣いてんのか、ヤレヤレ」みたいなことなのかもしれない。べつに心配はしてないけどまぁ近くにいといてやるか、みたいな小町のスタンスに、昔から何度も救われている。