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小学生、本物のヨーグルトに出会う
結婚して27年間、朝食にヨーグルトがある。金色のはちみつがかかった真っ白いヨーグルトは、シンプルで、朝の光に似合って美しい。ときどきバナナを切ってのせたりする、それも小さな喜びだ。
私が初めてプレーンヨーグルトを食べたのは小学生のときで、ある日、母がこんなものがあると買ってきた。当時の明治ブルガリアヨーグルトは、牛乳と同じ紙パックに入っていて、小さな砂糖の袋がテープか何かでついていた。
それまでヨーグルトといえば、瓶に入った甘くて薄い加工ヨーグルトしかなかったから、子供の私は興味津々。別にうちが貧乏だったわけじゃないけれど、給食以外でヨーグルトを食べることもほとんどなかった。まだそういう時代だったのだ。
ひとさじすくってヨーグルトをそのまま食べると、酸っぱい!風味も香りも自分の知っているヨーグルトとは全く違って、衝撃の味だった。これをなんと表現すればいいのだろう…初めての味としか言いようがない。
顆粒の砂糖も、初めて見るものだ。一粒一粒が細長い形で、薬か何かに見えた。ちょっぴりふりかけてみる。すぐにじわりと溶けていく。スプーンで混ぜると、あとかたもなく消える。
砂糖を入れたヨーグルトは甘くて酸っぱくて、もちろんこれまで食べていたヨーグルトとはもう全然違って、すごくおいしかった。これが本物のヨーグルトよ、と母が言う。その言葉も味に加算された。
これが私とヨーグルトの出会いだ。
味に慣れると砂糖なしでも食べられるようになり、私はヨーグルトが大好きになった。
はっきりした年はわからないが、1970年代のこと。まだ今のように、本格的なチョコレートも、本格的なパンも、本格的なパスタもスパイスカレーもコーヒーもなかった。私たちは今から思えば見よう見まねで作ったなにものかを食べていて、それを本物だと信じ込んでいた。
80年代に入るころから、さまざまな「本物」の食品が日本に入ってきて、少しずつ受け入れられていき、やがて置きかわった。でも、私の記憶でそれまで食べていたものが本物に置きかわるという最初の体験は、ヨーグルトだったような気がする。
本物がいいと言いたいわけではなく……なんというのだろうか、新しい味、知らなかった味に出会って、小学生の私は食の世界に興味を持ったのかもしれないということ。味のギャップが楽しい刺激をくれたのだと思う。
最近は、プレーンヨーグルトにオリーブオイルとちょっぴりの塩をかけて食べるのにはまっている。舌の記憶を保存する媒体は自分の体しかないから、初めての何かを食べるときは、味を覚えるようにゆっくりと味わっている。そして、ヨーグルトはゆっくり食べると、とてもおいしい。
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ここからは、おしらせ。今回明治ブルガリアヨーグルトとnoteがコラボした、「#ヨーグルトのある食卓」投稿コンテストが開催されています。私も審査員のひとりです。すでにたくさんの投稿が集まっているよう。ヨーグルトから思い起こされる、いろいろな物語や音やイメージ、ふくらませてみてくださいね。
詳しい応募方法は、こちらのnoteに。
#ヨーグルトのある食卓 #ヨーグルトの日 #明治ブルガリアヨーグルト #PR
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