生きたくなる料理
先日、2019年語りたいレシピ本のnoteを書いたら、記事中で紹介した『cook』の著者である坂口恭平さんから、Twitterでコメントをいただいた。(『cook』では、料理することで鬱状態から抜け出したという坂口さんご自身の体験が、食べたものの記録とともに書かれている)
「死にたくなることに関してはプロ」。すごい言葉だ。小さなやりとりの後で、ふと「死にたくなる」という言葉を、坂口さんがこれだけカジュアルに使われたことについて考えた。
よく「有賀さんってめちゃくちゃ体力ありますね!」と言われる。もういい歳でかなり衰えは来ているものの、基本的に身体を動かす中で考える、体でっかちのタイプ。
でも、私なんて比べ物にならないほど、食関係にはタフな人が多い。体力勝負の仕事によってどんどん体力が培われるせいもあるだろうし、食への執着があるからよく食べて、自然にいい感じの栄養がとれていると思う。あと、身体を適度に動かす仕事って自律神経には良いので、精神も病みにくい。
こうしてますます体力をつけていく人たちの熱量は、もしかして現代人には大きすぎるのかもしれないと、思ったのだ。
料理の情報を発信するようになって、自炊を辛いことと考える人の多さに驚いた。中には食べることすら面倒だという人がいる。私など、燃え上がるような空腹や食欲がまずあって、より安上がりにおいしく食べたいから自炊するという流れになるわけだけれど、いまの人々は、自炊するまでのモチベーションに、食への欲望が達していない。
坂口さんのように本物の鬱とまでいかないとしても、今、生きづらさを抱えやすい社会的な背景もあり、少なからずの人が軽い鬱状態で、なんだかちょっと死にたくなっている……なんてことがあるのではないだろうか。
自分が生きている意味を考え込んで食欲もわかないとき、体力のあり余った元気な人たちが「もっともっとおいしく!」「ボリューム満点!作って食べて今日もがんばろう!!」みたいな情報をもりもり流してくるとなると、これは確かに、辛いものがある。必要なのは方法ではなく、動機になる。
現代の鬱的な心をかかえる人たちのための料理とは、生きたくなる料理とは、どんなものだろう。体力あふれる私はそういう人たちの力になれるのだろうか。
そんなことを考えながら、今日もスープを作っています。いや、私だって疲れるんですよ。
読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。