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2022.3.13 豆腐の茶碗蒸しスープ、家庭料理を鳥の目で

茶碗蒸しのだしを増やしてふるふるにしたスープです。たまご1個にだし200mLぐらい混ぜて、塩で味つけ。
レンジに2分ほど、ときどき開けて様子をみながらかけていきます。茶碗蒸しと同じで具はなんでもいいけれど豆腐は口当たりがやわらかくて、癒されます。三つ葉があったので刻んで散らして。

『きょうも料理』という、2004年に出された本を読みました。著者の山尾美香さんは東京大学大学院在学中に結婚・出産を経験。在学中に書いた修士論文と、『思想』に寄稿した論文を軸にしたもので、リアルな自身の疑問から、明治以降の主婦と家庭料理の歴史を料理番組とともに振り返った一冊です。
家庭料理がいつごろから、どのように、どういう価値観を持つものとして定着してきたのかということが非常にわかりやすく書かれていてなかなか面白かったです。

明治二十年以降、夫婦を重視した「家庭」という言葉が流行。近代家族の概念が生まれました。(近代家族が出現し、その舞台装置として家庭が現れた、ともいえます)本を読みながら年表を作っていくと、新しい「家庭」の中で料理というものがどのように扱われてきたかは、家庭の内部的な事情というより、時の政策が大きな舵を切っていたんだなとわかります。少なくとも戦争のあたりまでは。

料理教育は栄養学の観点から女学校などでのプログラムとして始まり、教科としては「理科」の一部だったなんていう話は面白いです。最初の頃は良家の子女が習うもので、教わるメニューもロールキャベツやコロッケなど、明治になって日本に入ってきた洋食でした。今でいうならフレンチのコース料理を習うみたいなことでしょうか。家庭で作れないようなもののほうが、習った気になるのかもしれません。

栄養と衛生に重点が置かれてきた家庭料理に、おいしさ、さらに「一家団欒」や「家庭和合」などの精神性が入ってきたのが大正から昭和に入るころ。家族の結びつきを強め、そこに国の結びつきを重ね合わせることで、国の一体感を強めたわけです。現代でもよく取り沙汰される「料理は愛情」というようなワードも出てきて、主婦たちの献立の悩みが顕在化します。

戦中、戦後の食糧難によって食卓は一旦殺風景になりますが、復興後はラジオ・テレビなどの料理番組によってふたたび家庭料理が華やかになっていきます。ここからはおそらく政治の方向性というよりは、メディアが力を持ってきたのだろうと感じます。1970年代以降に関しては自分がリアルタイムで感じ取ってきたものもあり、そうそうと思い出しつつ読んでいきました。

本はすでに18年前の意識で書かれたものなので、2022年の今の料理に対する価値観としてはかなり変わってきた部分も感じられます。
SNSの時代、情報もこれまでのように一方的ではなくなりました。とはいえ、家庭料理というきわめてプライベートな領域においても、私たちは時代の影響から逃れられないんだなと思いました。日々自分たちの好きなものを食べ、好きなように料理をしているようでいて、実際の選択肢はそれほど多くはない。

歴史をたどりながら鳥の目で自分のくらしを見てみると、気づくこともあります。いまこの時代に、自分が料理を通じて伝えているものは何なのだろう。そんなこともちょっと考えたりしました。

古書などで手に入るようです。ご興味ある方はどうぞ。











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有賀 薫
読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。