よーいドン、のその前に
これは、ヤマハ発動機と開催する「 #エンジンがかかった瞬間 」投稿コンテストの参考作品として、主催者から依頼をいただいて書いた作品です。
母からよく聞かされた、私が子どもの頃のエピソードがあります。それは幼稚園の運動会。かけっこで、よーいドン!とピストルの音が鳴ると、スタートラインに立った私がゆっくりと右を見て、左を見て、もう一度右を見て、みんなが走り出したのを確かめてからようやく走り出していったという話です。ぼーっとした子供だった、母はいつも笑ってそう結んでいました。
現在、私はスープのレシピや料理を楽にするアイデアをお伝えする仕事をしています。「スープ作家」というちょっと変わった肩書や、まったく違う畑からこの世界へ入ってきたという経歴のせいだと思いますが、さまざまなメディアの取材でスープ作家になったいきさつを聞かれ、お話してきました。
朝が苦手な受験生の息子を起こそうと始めたスープ作り。毎日欠かさず作り続け、写真を撮りためて展覧会を開き、出版社にかけあい、スープの実験レポートを次々noteに書き続けてデビューに至りました。
そうしたある種のサクセスストーリーは、どちらかといえば、思い立ったら猪突猛進というような姿を多くの人にイメージさせているのではないでしょうか。実際、ここ数年の私は人も巻き込みながら、一心不乱に前を向いて走ってきました。
でも、母が何度もくり返していたように、私は本来、とてもエンジンがかかりにくい性質なのです。
のらりくらりと日々スープ作りをしている私に、友人や知人たちは「本を出したら?」「仕事にしたら?」などと言ってくれていたのですが、どれも笑って流していました。
もちろん私だって大好きな料理で仕事ができたらいいなあ、と思わなかったわけではありません。ただ、誰の言葉も「自分ごと」に感じられなかったんです。
若い頃からライターとしてフリーで働いていました。ほとんど無記名の仕事です。企業の工場や営業所の取材、赤ちゃんグッズの通販カタログのコピー、女性誌の習い事特集や貯金の記事、これといったテーマもなく、何でも書きました。
得意分野を持たなくても、こうした仕事は案外あるものです。人から見ると物足りなさも感じられるみたいで、「あなたは結局、何がやりたいの?」と詰め寄られたこともありました。でも、書くことは嫌いではないし、家事や育児とのバランスをとるためにはひとつのテーマを追うより、納期のしっかりした確実な仕事をやるほうがよいと感じていました。
こういう仕事の仕方をしていると、自分の名前で独り立ちするなんて、別世界の話に見えます。ましてや私は調理の仕事はおろか、喫茶店のバイトすらやったことがなかったのです。
50歳で無名で、料理の仕事経験はゼロ。目標を一つにする仲間も、お互いを高め合うライバルもいませんでした。時間をかけて、これでいこうとコツコツプランを立てていたわけでもありません。
人のことだったら無責任に「チャレンジしてみたら?」なんて言えるけれど、自分がこんな状況だったとき、スタートのイメージを持てる人って、どのぐらいいるでしょうか?
でも結局、私はある日「スープの本を出版しよう」と思い立ちました。それは、自分でもびっくりするぐらい自然な感情からでした。
幼稚園のかけっこのことを思い出します。
母を含めてそこにいた人にとって、私は周囲をよく観察する慎重な子ども、あるいはのんびりした子どもに見えていたでしょう。でも、それは少し違います。私は、かけっこなんかしたくなかったのです。走るのも競争するのも嫌でした。だから自分のペースで走れるまで、待っていたのです。
自分が何か大きなことを始めるとき、そのタイミングもゴールも人には決められたくない。それは昔から今にいたるまでずっとそうです。大事なことは自分の間合いで決めてきました。
だから料理を仕事にするという大きな決断も、誰かに決められたくはなかった。自分の心がよし、となるまで動きたくなかったのです。
自分がよし、となるというのはどういうことかというと、自分が決断するというよりはもうそれしか選択がないような感覚、木の実が熟して自然にぽとんと落ちる、傷が治ってかさぶたが自然にはがれる、その感じに近いものでした。日々作り続けてきたスープが大きな塊となって、閉じこもろうとする私の心を表に押し出したのだと思います。
そこからは、体が動きはじめました。信頼できる人のところに話をしにいき、気になる出版社に声をかけ、展示会を企画しました。最初はうまくいかないことも多くて、大丈夫かなという心配もありましたが、後に引くという選択肢が自分の中に一切なかったのは、落ちた実が二度と木に戻らないのと同じことでした。
自分の中で今こそ走るときだと決められたら、人はかなりの距離を走れるし、頑張れます。そのタイミングは遅すぎてもダメですが、早ければいいというものではありません。誰かの合図で走る、あるいは人を見て走るのではなく、自然なスタートが切れるタイミングを待って走り出したことが、私にとってはよい結果につながりました。
みんなが同じゴールをめざすかけっことは違い、人生では人のゴールを走る必要はなく、スタートの号砲も自分で鳴らしてよいのです。よーいドン、のその前に、十分にエンジンを温めておくこと。それがスタートダッシュをかけ、ゴールまで走りぬく秘訣なのではないかと思うこの頃です。