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読みやすい文章を書くために(3)接続詞

読みやすい文章を書くためには一文を短くする必要があります。

しかしそうするとやっかいな問題が起こります。

それは、短くした文と文とのつなぎをどうするのか、ということです。

小学生の作文ですが

さて、ここで小学生のころを思い出してください。作文や絵日記、こんなふうになってませんでしたか?(読みやすいように小学校低学年では習わない漢字も使って書いてます。)

僕は朝、起きた。歯を磨いた。朝ご飯を食べた。「行ってきます」と言って家を出た。

これだとあんまりなので、文と文とのつながりを入れようと考えると、

僕は朝、起きた。そして歯を磨いた。そして朝ご飯を食べた。そして「行ってきます」と言って家を出た。

さて、もう少し語彙も増えると、次のようになるかもしれません。

僕は朝、起きた。そして歯を磨いた。次にご飯を食べた。それから「行ってきます」と言って家を出た。

時間の経過をさまざまな接続詞で表すことができるようになりましたね。


こうしてだんだん複雑な文章が書けるようになっていきます。


でも、ここで次のように接続詞を減らしてみるとどうでしょうか?

僕は朝、起きた。歯を磨いた。朝ご飯を食べた。そして「行ってきます」と言って家を出た。

こうすると、「行ってきます」と言って家を出たことに何か特別な意味があるような文章になりますね。だんだん大人の文章ぽくなってきました。

接続詞の果たす役割

接続詞や接続助詞は、文と文との論理的な関係を表すものです。

順接だとか、逆接だとか、並立、累加、選択、説明、補足、結果、理由、仮定だとかというように。

けれど、先にみてきた「そして」を、たんに経過・契機を示すものとみることはできません。

この「そして」は、文章にリズムを与え「『行ってきます』と言って」もしくは『家を出た』というところを強調して、こうしたことに特別な意味があるかのようなニュアンスを出しています。

つまり、接続詞や接続助詞はただ論理関係を表すだけのものではなく、使い方しだいでは、文章の雰囲気やムードをつくることができるのです。

接続詞は文章全体のトーンを決定する

もう少し詳しくみてみましょう。

校正ということに労力をかける必要はない。なぜならば、多少の誤字・脱字や文法上の乱れがあっても、たいていの文章は理解できるからである。こんな意見をきくことがあります。しかしこの考え方はきわめて皮相なものだといわざるをえません。そもそも書かれた文章はそれを読む人がいてはじめて意味を持つものです。だからよい書き手は読んでくれる人のことを考えて、誤りのない読みやすい文章にしようとするのです。

これを次のようにしたらどうでしょうか。

校正ということに労力をかける必要はない。多少の誤字・脱字や文法上の乱れがあっても、たいていの文章は理解できる。こんな意見をきくことがあります。この考え方はきわめて皮相なものだといわざるをえません。書かれた文章はそれを読む人がいてはじめて意味を持つものです。よい書き手は読んでくれる人のことを考えて、誤りのない読みやすい文章にしようとするのです。

接続語をすべて取りはらってしまいましたが、文意はじゅうぶん伝わることでしょう。

むしろ取ってしまった方が、すっきりした感じさえします。

ここで少しだけ接続語を復活させてみます。

次のふたつを比べてみてください。

A

校正ということに労力をかける必要はない。多少の誤字・脱字や文法上の乱れがあっても、たいていの文章は理解できる。こんな意見を聞くことがあります。しかしこの考え方はきわめて皮相なものだといわざるをえません。書かれた文章はそれを読む人がいてはじめて意味を持つものです。よい書き手は読んでくれる人のことを考えて、誤りのない読みやすい文章にしようとするのです。

もうひとつはこれです。

B

校正ということに労力をかける必要はない。多少の誤字・脱字や文章の乱れがあっても、たいていの文章は理解できる。こんな意見をきくことがあります。この考え方はきわめて皮相なものだといわざるをえません。書かれた文章はそれを読む人がいてはじめて意味を持つものです。だからよい書き手は読んでくれる人のことを考えて、誤りのない読みやすい文章にしようとするのです。

違いを感じていただけたでしょうか。

Aについては、『校正に労力をかけるのは不必要だという意見はおかしい』ということを強調するように読めませんか。

それにたいしてBは『よい書き手は読みやすい文章にする』ということを言いたい文章のように読めますね。

つまり、「しかし」とか「だから」とかという接続詞がついている文章は、接続詞のない文章よりも強調され、それによって文章全体のトーンが決定されているのです。

これは接続詞を省くことによって作り出される効果です。

接続詞の避けたい使い方

ところで、さきほど接続詞や接続助詞は文章にリズムを与えることができるといいました。

けれど逆にいえば、使い方によっては文章のリズムや雰囲気、格調を壊してしまうことにもなるということです。

たとえば同じ接続詞が、「次に~、次に~」とか「したがって~、したがって~」とかというようにくり返し使われると、論理関係は正しくともよい印象はもてません。悪文に思えてしまいます。

たとえば「したがって~、それゆえに~」と別の言葉にしてみましょう。

次の二つの文章を比べてみてください。

卓也は涼子のことをずっとお嬢さん育ちだと思っていた。しかしそれは全くの誤解だった。しかしそんなことは涼子にとってはどうでもよいことであった。

これを一語だけ変えてみます。

卓也は涼子のことをずっとお嬢さん育ちだと思っていた。だがそれはまったくの誤解だった。しかしそんなことは涼子にとってはどうでもよいことであった。

言葉ひとつの違いで文章のリズムが大きく変わるということがわかっていただけたでしょうか。

接続詞でニュアンスの違いも

同じような意味の接続詞や接続助詞でも、使う言葉によって文章のニュアンスや雰囲気を変えることがあります。

A

校正というものは極度の集中力を必要とします。そのため孤独な作業だと思われがちです。しかしこの作業は書いた人との対話でなければなりません。それができたならば人とのつながりを感じられる作業でもあるのです。

この文章の接続詞や接続助詞を同じ意味の別の言葉に書き換えてみましょう。

B

校正というものは極度の集中力を必要とします。だから孤独な作業だと思われがちです。けれどもこの作業は書いた人との対話でなければなりません。それができれば人とのつながりを感じられる作業でもあるのです。

ニュアンスの違いを感じていただけたでしょうか。

Aは少々堅苦しい感じがしませんか。

Bは話しかけるような感じがしないでしょうか。

このように接続詞や接続助詞、広く言って接続語は文章全体のリズムや雰囲気をつくりだします。

うまくつかって、読みやすい文章を書いてみましょう。






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仁矢田美弥|つなぐ、結ぶ、創る ミモザとビオラ
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