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テンとマルのお話


◉「テン」と「マル」って?

マル(。)=句点・・・文と文との間に打つ。
テン(、)=読点・・・文の内部を区切るために打つ

まとめて句読点と言います。

マルはともかく、テンは意外に難しいです。

※参考文献:『文章添削の教科書』(渡辺知明著・芸術新聞社刊)

◉マル(句点)は比較的簡単です

文の終わりにつける”!

若干の例外はありますが、述部の後に入れるのが基本形ですね。

◉難しいのはテン(読点)

「テンの打ち方の原理は簡単です。文節と文節とが直接にはつながらないところに打ちます。つづいて読まれると誤解されるところに打つのです。」(55ページ)

『文章添削の教科書』(渡辺知明著・芸術新聞社刊)

待って! 小学校の国語ですが「文節」って?

「日本語の言語単位の一つ。文の構成要素で、文を実際の言語として、不自然でない程度に最小に句切ったときに得られるもの。」(精選版 日本国語大辞典より)

 ふだん意識しない日本語の文法のお話になると難しいので、以下は、ごくごく簡単に例文も使って解説します。

①読点の重要性

例文1:
 涼子は必死に添削の仕事を行った。しかし卓也が言ったようにこの文章を直すことは涼子にはできなかった。

 さて、涼子は与えられた文章を直すことができたのでしょうか、それともできなかったのでしょうか。

 この文章ではどちらかはわかりませんね。

 「卓也が言ったように」という節が「直す」にかかっているとみれば、『直すことはできたが卓也が言ったようにはできなかった』ということになります。

一方、

 この節が「できなかった」にかかっているとみると、『卓也があらかじめ言っていたように、直すこと自体ができなかった』ということになります。

 この問題は文の構成を次のように変えてみれば、一応解決します。

・「この文章を直すことは卓也が言ったように涼子にはできなかった。」

・「この文章を卓也が言ったように直すことは涼子にはできなかった。」

 後者はなお、『この文章を――卓也が言ったように――直すことは涼子にはできなかった』とも読みこめる余地がありますが、「卓也が言ったように直す」とひとつながりで理解してもらえるでしょう。

 しかし文を変えなくても次のように「、」を使えば、簡単にどちらの意味か明確にすることができます。

・「卓也が言ったように、この文章を直すことは涼子にはできなかった。」

・「卓也が言ったようにこの文章を直すことは、涼子にはできなかった。」

 きわめて明瞭になりますね。

 このように「、」には文の意味を変えてしまうほどの力があるのです。それは単に読むときの息継ぎのためだけのものではありません。

なぜなら、「、」を次のように打ってしまうとどうでしょうか。

・卓也が言ったように、この文章を直すことは、涼子にはできなかった。

 これでは文章を直すこと自体ができなかったという意味にしかなりませんね。
 問題は、「卓也が言ったように」と「直す」とをつなげるかどうかというところにあるのです。
 「、」はそれを決めているのです。

 では次のような例はどうでしょうか。

例文2:
試合の終盤になっても、前半のような工夫がみられない戦いをつづけた。

このチームは前半、工夫した戦いを行っていたのでしょうか、いなかったのでしょうか。

この場合も、

・試合の終盤になっても、前半のような、工夫がみられない戦いをつづけた。

・試合の終盤になっても、前半のような工夫が、みられない戦いをつづけた。

とすれば意味ははっきりします。もっとも日本語としてはあまり流ちょうなものとはいえませんが。

 これも「前半のような」と「工夫」とをつなげるかどうか、つまり「前半のような」を「工夫」の修飾句とするのかどうかが問題なのです。

②「、」は適度に入れよう

 ところで、私自身が多くの方の文章を添削させていただくなかで、ほぼ例外なく感じるのは、「、」(読点)の不必要な多さです。

 「、」が多すぎて、文章がいくつもぶつ切りにされているような例を見ることがよくあります。

 ここで恥ずかしながら、過去の拙作の一節を引用してみます。

 人を好きになるとは、どういうことなんだろう。
 僕はそれが分からず、なされるがまま、ずっとそうやってきた。
 されるがまま。
 でも、今、僕は初めて、自分の意志でここにいると感じた。奇妙な言い方であるが、そうだった。
 僕は、仕事を言い訳にせずに、今日はここに来たんだ。

 「、」が多いですよね。

 ここは主人公が内省的になるシーンで、そういう書き手の感覚で書いていたら、こうなりました。

 私が思うに、文章に「、」を濫用してしまう人が多いのは、書き手が自分の書くときの呼吸やリズムで「、」を打っているからだと思うのです。

 書いているときはそれでもかまわないと私は思います。

 けれど、あとで必ず――できれば少し時間をおいたうえで――読み手(読者)の立場で読みなおしてみてください。この場合に音読してみるのもひとつの方法です。

 そうすると、「、」の多さがかえって文章のリズムを損なっていることや、読みづらさを読者に与えていることに気づくと思います。

 つまり、書くときは書き手のリズムや呼吸で書いている、けれどもそれを今度は読み手(読者)のそれで読み直してみるということです。

 こういった些細な作業によって、文章はまた格段によくなります。

 ぜひ試してみてください。


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仁矢田美弥|つなぐ、結ぶ、創る ミモザとビオラ
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