
添削屋「ミサキさん」の考察|33|『文章の書き方』を読んでみた③
広い円――書くための準備は

池波正太郎の「食べ物」の文章
「広い円」の例がいくつか述べられていくのですが、まずは作家の池波正太郎の文章です。
彼は、欠かさず「食べもの日記」をつけていたそうです。
その”成果”が以下の文章です。
冬に深川の家へ遊びに行くと、三井さんは長火鉢に土鍋をかけ、大根を煮た。
土鍋の中には昆布を敷いたのみだが、厚く輪切りにした大根は、妻君の故郷からわざわざ取り寄せる尾張大根で、これを気長く煮る。
煮えあがるまでには、これも三井さん手製のイカの塩辛で酒をのむ。柚子の香りのする、うまい塩辛だった。
大根が煮あがる寸前に、三井老人は鍋の中へ少量の塩と酒を振り込む。
そして、大根を皿へ移し、醤油を二、三滴落としただけで口へ運ぶ。
大根を噛んだ瞬間に、
『む……』
いかにもうまそうな唸り声をあげたものだが、若い私たちには、まだ大根の味がわからなかった。
個人的な話になりますが、私は食べることもお料理もあまり好きではありません。で、どうしてもおいしそうな料理や食べ物の描写は苦手です。
でも、たとえば、柚木麻子さんの『BUTTER』などでは、ここまでうまそうな匂いまで漂ってきそうな食べ物、あるいは食べることの描写ができるのかと驚いたものです。
それはともかく、この場合単に「食べもの」とか「食べること」が好きといいだけではやはりこういう描写はできないということですね。
「食べもの日記」という「広い円」あってのこと。
自分も「○○日記」をつけたくなってきました。
宇野千代の、「毎日、書く」
作家の宇野千代は、ある八十過ぎの人形師に言われます。彼は縁側で一日中、ノミを使って木を刻む……。「十六の年から、こうして毎日、木を刻んでましたのや」。
宇野千代はそれを聞いて「そうだ、毎日、書くのだ」と思いそれを実行します。
書けるときに書き、書けないときに休むと言ふのではない。書けない、と思ふときにも、机の前に坐るのだ。すると、ついさつきまで、今日は一字も書けない、と思うた筈なのに、ほんの少し、行く手が見えるやうな気がするから不思議である。
実際には、書けないときは休んだ方がいい場合もあるかもしれません。けれど、宇野千代はそういう方法ではなく、書けなくても書く、という道を決めて実践しました。
こういうと僭越ですが、私もまったく書けないと思っていても、毎日パソコンの画面を開くようにしています。

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