読みやすい文章を書くために(1)読点の話
①読点の重要性
文章を書くときに見落とされがちなのは「、」(読点)です。
「句読点」の「読点」。
余談ですが「句点」と「読点」、よく分からなくなることがありますよね。
「読み点」と覚えるとよいかもしれません。
それはともかくここでは「、」(読点)の重要性について、例を挙げてお話します。
例文1:
さて、涼子は与えられた文章を直すことができたのでしょうか、それともできなかったのでしょうか。
この文章ではどちらかはわかりませんね。
「卓也が言ったように」という節が「直す」にかかっているとみれば、『直すことはできたが卓也が言ったようにはできなかった』ということになります。
一方、
この節が「できなかった」にかかっているとみると、『卓也があらかじめ言っていたように、直すこと自体ができなかった』ということになります。
この問題は文の構成を次のように変えてみれば、一応解決します。
後者はなお、『この文章を――卓也が言ったように――直すことは涼子にはできなかった』とも読みこめる余地がありますが、「卓也が言ったように直す」とひとつながりで理解してもらえるでしょう。
しかし文を変えなくても次のように「、」を使えば、簡単にどちらの意味か明確にすることができます。
きわめて明瞭になりますね。
このように「、」には文の意味を変えてしまうほどの力があるのです。
それは単に読むときの息継ぎのためだけのものではありません。
「、」をただの息継ぎというくらいにしか考えず、次のように打ってしまうとどうでしょうか。
これでは文章を直すこと自体ができなかったという意味にしかなりませんね。
問題は、「卓也が言ったように」と「直す」とをつなげるかどうかというところにあるのです。
「、」はそれを決めているのです。
では次のような例はどうでしょうか。
例文2:
このチームは前半、工夫した戦いを行っていたのでしょうか、いなかったのでしょうか。
この場合も、
とすれば意味ははっきりします。
もっとも日本語としてはあまり流ちょうなものとはいえませんが。
これも「前半のような」と「工夫」とをつなげるかどうか、つまり「前半のような」を「工夫」の修飾句とするのかどうかが問題なのです。
さて、これで「、」(読点)の重要性がわかっていただけたでしょうか。
たかが「、」といって侮ると大変なことになりますよ。
②「、」は適度に入れよう
さてところで、私自身が多くの方の文章を添削させていただくなかで、ほぼ例外なく感じるのは、「、」(読点)の不必要な多さです。
「、」が多すぎて、文章がいくつもぶつ切りにされているような例を見ることがよくあります。
ここで恥ずかしながら、過去の拙作の一節を引用してみます。
「、」が多いですよね。
ここは主人公が内省的になるシーンで、そういう書き手の感覚で書いていたら、こうなりました。
私が思うに、文章に「、」を濫用してしまう人が多いのは、書き手が自分の書くときの呼吸やリズムで「、」を打っているからだと思うのです。
書いているときはそれでもかまわないと私は思います。
けれど、あとで必ず――できれば少し時間をおいたうえで――読み手(読者)の立場で読みなおしてみてください。
この場合に音読してみるのもひとつの方法です。
そうすると、「、」の多さがかえって文章のリズムを損なっていることや、読みづらさを読者に与えていることに気づくと思います。
つまり、書くときは当たり前ですが書き手のリズムや呼吸で書いている、けれどもそれを今度は読み手(読者)のそれで読みなおし見直してみるということです。
こういった些細な作業によって、文章はまた格段によくなります。
ぜひ試してみてください。
文章のリズムの大切さについては、のちにまた触れたいと考えています。
お読みいただき、ありがとうございました。
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