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添削屋「ミサキさん」の考察|16|「『文章術のベストセラー100冊』のポイントを1冊にまとめてみた」を読んでみた⑯

|15|からつづく

いろいろなジャンルの文章を引いてみます(かなり雑多ですよ)。

中村とうよう著『ポピュラー音楽の世紀』(岩波新書)より。

 フォスターは若いころにピッツバーグで綿花倉庫の検査係をしていてそこで働く黒人労働者の歌に触れ、シンシナーティでも黒人の歌を聞いていたようで、そんな体験が「おお、スザンナ」など彼の多くの作品のヒントになった。もちろん「おお、スザンナ」は、黒人の暮らしを歌ったものとも、黒人風の歌だとも、言えない。アラバマからルイジアナへとバンジョウを持って旅をするのが、黒人なのか白人なのか歌詞を見ただけではわからない。しかし彼がこの歌を作ったころのアメリカでは、これは明らかに、白人のコメディアンが南部の黒人の真似をしておどけて歌うのにピッタリな歌であり、フォスター自身そのつもりで作ったのだった。そのことは「草競馬」についても当てはまるし、もっとしんみりした「故郷の人々」「懐かしいケンタッキーのわが家」「オールド・ブラック・ジョウ」などにも共通するフォスター作品の基本的な性格である。だからこそ、スワニーという川の名前を南部から探し出さねばならなかったし、ケンタッキー州のわが家は彼自身の故郷ペンシルヴェニア州ではダメだったし、オールド・ジョウはどうしてもブラック(黒人)でなくてはならなかった。

『ポピュラー音楽の世紀』

やっぱり、小説の文章のほうが面白いでしょうか。
小説の文章は、実は接続詞が少ない傾向にあるようです。
手持ちの本をめくってみても、なかなか接続詞が効果的に使われている箇所が見つからないです。
いずれこのエッセイを改稿するときには、ふさわしい文章の例を載せられるようにしますね。

アメリカのハードボイルド、テリー・ホワイト真夜中の相棒』(小菅正夫訳・文春文庫)より。

 マックに賭け金を与えてゲームに参加できるようにしてやったことをジョニーは喜んでいた。マックは最初は金を受けとるのを渋っていたが、ジョニーがむりやり説き伏せた。ここへきてマックは幸せだったし、ジョニーもそれを見て嬉しかった。
 またたとえ、マックの凄味を帯びた顔つきや、獰猛なまでの決断力でゲームを進めているらしいのを見て少しばかり怯えていたとしても、ジョニーはその恐怖を無視するほうを選んだ。
 まじまじと見つめられているのを感じとったかのように、マックは手札から顔を上げ、ジョニーの視線と目を合わせた。その表情は何一つ変らず、他のプレーヤーに気どられるような感情の気配は示していない。にもかかわらずジョニーは、自分がここにいることをマックが紛れもなく喜んでくれているという気がした。不安をわきへ押しやると、マックがカードを配り終えるのを見守りながら、ビールをごくりと飲みくだした。

『真夜中の相棒』

伊藤計劃著『虐殺器官』(ハヤカワ文庫)より。

 死者は誰も赦すことができない。
 ルツィアが苦しんでいるのは、そのためだ。人は取り返しのつかないことになってはじめて、その不可逆性に痛めつけられる。ルツィアがジョン・ポールの妻と子に犯した罪を赦す者は、この世のどこにもいないのだ。
 神は死んだ、と誰かが言った。そのとき罪は、人間のものとなった。罪を犯すのが人間であることは不変だったが、それを赦すのは神でなく、死に得る肉体の主人である人間となった。
 だからこそ、僕はルツィアに惹かれているのだ。ともに、もはや許しを得られぬ罪の主人として。死者に対する罪悪感に取り憑かれた者として。
 そこで、ぼくは自分の罪の話をすることにした。
 いま思えば、それは最も矮小なかたちでの好意の告白だったのだろう。

『虐殺器官』

順接をくりかえすことによって、主人公の気持ちの動き(彼女に「罪」を告白してしまいたい、と同時に彼女への思いを示したい)がゆきつくようところにゆきつく感じがうまく表現されていると私は感じます。
接続詞が文学表現として意味を見せているような気がします。

皆さんも、少し接続詞を意識して読んでみてくださいね。
新しい発見があるかもしれません。

|17|につづく





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仁矢田美弥|つなぐ、結ぶ、創る ミモザとビオラ
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