わたしが園長になった話
この話をお伝えする前に、わたしがどんな人なのか?ということの紹介もしておこうと思います。
人見知り
保育の仕事のおかげで仕事スイッチが入ってしまえば、人見知りを発動しなくなりましたが、20代は人見知りし過ぎてしまう自分が嫌になってしまうくらい、はじめて出会う人とどう話してよいかがわかりませんでした。もう少し遡ると、小学生時代なんかは授業中に手をあげることが怖くて、授業参観などでクラスのほぼ全員が手をあげている時に、『自分もあげないと』と恐る恐る手をあげたら先生にさされてしまい、頭が真っ白になったことを覚えています。
みんなの前で話すこと、目立つことが何であんなに怖かったのかなと今は思えますが、当時の私にとっては本当に嫌なことでした。
安心感を持ってもらうために
大人になってからも人見知りや、人前での発言などは緊張してしまっていましたが、30代になって友人とはじめた子育て講座の中で、わたしが講師として皆さんの前で話さなくてはいけないという(講師なのであたりまえなのですが)場面を数多くいただき、一度の講座で参加してくださったお母さんの緊張感を安心感に変えるためには、自分が緊張している場合はないということを何度も経験をさせていただいたおかげで、皆さんの前で話したりすることを少しずつ克服してきました。
かおちゃんが園長やるならわたしも働く
KIDS SMILE LABOが開園する2年ほど前に、日比野設計の会長の日比野さんから園長をお願いしたいとお話しをいただきました。かっこよく「はい、やります!」と一つ返事ではいかず、「少し考えさせてください」とお伝えをしてから、考えること数か月。
小さなころからリーダーなどして、みんなをまとめていたようなタイプではない私が、園長という役を引き受けるのは最初ものすごく不安があったということは言うまでもなく、園長という未知の領域に踏みこむのには勇気がいりました。
それに加え本厚木という、わたしにとって初めてご縁をいただく土地での保育、そしてビル型の保育園での保育という初めて尽くしの条件でしたので、休日になると副園長の森君にも声をかけて、本厚木にきては保育で散歩に行けそうな場所を巡ったり、車で本厚木の森林公園などにいったり、保育のイメージを膨らませていました。
副園長の森君も一緒に保育を作ってくれると言ってくれたことがとても大きかったのですが、もう一人わたしの背中をおしてくれたのが、今は亡き子育て講座を一緒にやっていた友人です。何気なくさらりと「かおちゃんが園長やるならわたしも働く」と彼女が言いまして、そして「一緒に今まで大切にしてきた保育を形にしていこう」と話してくれました。
そんな背中をおした張本人は、開園することも決まっていない時期に次の世界へと旅立っていったのですが、この開園をきっと天国で喜んでくれていると思うと、今でも大きな原動力として私を動かしてくれるのです。
未熟だからこその挑戦
園長として本当にまだまだ未熟だなと感じる場面がたくさんあります。日々保育チームの職員にたくさん助けてもらったり、保育のコンサルをしてくださっている方に企業主導型の制度について教えていただいていたりするのですが、この未熟な時期が今とてつもなく楽しくもあります。業務もやり方も、わからないことが多いのです。その反面、知らないことを一つ一つ知ることができる期間でもあります。人見知りを克服したようにゆっくりですが、苦手なことも克服をしながら、わからないことがわかるようになるまで、周りにいる人たちに感謝しながら、わたしの歩幅で園長という仕事を楽しみたいと思っています。
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