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教師と保護者は共に子どもを想う同志だと思う話。(対立ではなく協力を)

どうも。元教員で現ヒラ社員のかおるこです。

今回は「モンスターペアレントなんてほとんどいない。保護者も教員も心から子どもの成長を願っている」「無用な対立や不安を煽るメディアに惑わされないで」という話をしたいと思います。

【目次】
・はじめに
・モンスターペアレントなんてほとんどいない
・保護者と教師は手を組むべき
・メディアの情報に惑わされないで
・さいごに

・はじめに

この記事は、やらぽん@のほほんメンタリスト(護身術研究家)さんという、名前が怪しい(失礼)けれどnote初心者にもスキしてくださる優しいnoteの達人さんの企画に乗っかって、書くことにしました。この企画で私が一番魅力的に感じたのはコメントではなく記事でやりとりしようという点です。企画の詳細は記事下に貼ってます。

さて、はじめに私がやらぽんさんの記事の中から1つ記事を選び、記事を書きます。私が選んだ記事はこちらです。

この記事を読んで、「今の日本には先生を敬う気持ちが欠落している」「先生の待遇をアップさせなきゃいけない」という主張は元教員として本当にありがたいことだなと思いました。

しかし、やらぽんさんがメディアで見聞きしたような「モンスターペアレント」なんて、学校現場にはほとんどいないと私は思っています。

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・モンスターペアレントなんてほとんどいない

「モンスターペアレント」とは、学校などに対して自己中心的かつ理不尽な要求をする親を意味します(Wikipediaより)。
この言葉はすでに結構浸透していて、会社でも、私が学校を辞めたと知った人は「保護者対応とか大変なんでしょ?」と必ず聞きます。たぶん保護者自身もひそかにこの言葉に敏感になっている(自分がそう思われているのではないかと心配している)人もいるのではないかと思います。

しかし、私が実際に接してきた保護者のほとんどは、学校に理不尽な要求をするどころか、教師に言いたいことがあっても、ぐっと飲み込んでくれていると感じることが多々ありました。

たぶんそれは、自分の発言によって、学校で子どもが教師に不遇に扱われてはいけないという思いがあるのだと推察します。(実際、そのようなことで子どもへの態度を変える教師はほぼいないと思うのですが)

もちろん、時には教師に対して強い言葉で迫る保護者もいますが、その多くは、自分の子どもを守ろうとしての言動であり、心情としては理解できるので、「モンスター」とまではいかないと私は思っています。

5年間の教員生活を振り返ってみても「あれはモンスターペアレントというべき保護者だったな」と思うのは2人くらいです。(いるのはいるので、全くいないとは言えないのは残念なのですが)

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・子どもの成長のために保護者と教師は手を組むべき

当たり前かもしれませんが、保護者は自分の子どものことが一番かわいいと思っていますし、子どもの成長を何より願っています。
そして、教師も自分の受け持っている子たちを一番かわいいと思っていますし、子どもたちの成長を何より願っています。

つまり、教師と保護者は「心から子どもの成長を願っている」という点は共通しており、両者は同志であるとともに、協力関係を築ける相手であるはずなのです。

しかし、残念ながら、両者が協力関係を築けず、子どもたちに効果的な指導ができないことも実際あります。

例えば、A君がB君にいじわるをして、B君を泣かせてしまった。学校でA君に説諭して、反省させ、B君に謝罪させた後でA君の保護者に電話すると、「うちのA君がそんなことをするはずがない」「先生はA君のことをわかってくれていない」など教師へのクレームになる…など。

本来、人間は失敗から学ぶことの方が多く、今回の例で言えば、A君がこのトラブルをきっかけに人間関係の面で成長するかもしれないのに、「A君がそんなことをするはずがない」と失敗自体を否定してしまう保護者の態度は、A君にとってよくないと思うのです。
こういう時、私は「保護者も教師も、A君の成長をともに願っているはずなのに、どうして対立しなければならないのか」というやりきれない思いを抱くことがありました。

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・メディアの情報に惑わされないで

なぜこのような保護者と教師の無用な対立が生まれてしまうのかといえば、自戒を込めて言いますが、要は互いに信頼関係が欠如しているからだと思います。

もちろん、保護者と教師は頻繁には会えませんから、関係を築くチャンスが少ないというのはあるのですが、私はメディアの報道も両者の関係に溝を作っているのではないかと思うのです。

例えば、「モンスターペアレント」といった、確かにいるのはいるけど、ごく少数だよという人たちのことを、あたかもたくさんいるように報道し、教師と保護者の対立を煽るような報道があります。
また、「教師の不祥事」といった、確かにいるのはいるけど、ほんの少数だよという例をあたかもたくさんいるように報道し、世間や保護者の教師不信を煽ったりする報道もあります。

このような報道は、無意識かつ日常的に触れるため、気をつけていないと、両者にとって互いに警戒心を抱かせることとなる上に、コミュニケーションのハードルを上げてしまう結果となり、それが両者の信頼関係構築のきっかけを奪っているのではないかと私は考えています。

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・さいごに

今、学校に子どもさんが通われている保護者の皆さんには、「教師もあなたと同じように、子どもの成長を心から願っているのだ」ということを伝えたいですし、世間の方には、「親も教師も子どもも失敗できない社会で精いっぱいがんばっているのだ」と認識いただき、「たくさん失敗していいよ、そこから学んでいけばいいよ」という寛容な社会づくりに一役かって頂きたいと願っています。


追伸:やらぽんさん、この記事を書くきっかけを頂きありがとうございました。

今回乗っからせて頂いたやらぽんさんの企画の詳細はこちら。↓

やらぽんさんはnoteを続ける上でとてもためになる発信をしてくださっているお方です。他の記事もどうぞご覧ください。


では、また。




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