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ディズニーランドに美術館、待ち遠しいシニア割引は?(藤村公洋)

多くのことは居候に教わった

物心ついたとき、うちにはすでに居候がいた。
僕が育った家には母と父と僕の他に、家族でも親戚でもない、謂わば赤の他人が一緒に暮らすことが多かったんですよ。知ってるだけで4人くらいかな。

いま便宜的に‘赤の他人’なんて表現を使ったけれども、実際にはそんなことは当時から思ってなくて、ていうかそんなこと言ったら僕と母だって血の繋がりってことでは赤の他人だし(超長くなるのでその話はまた今度)、じゃあ父とはどうなんだ。いやいやそもそも自意識の自分と俯瞰で見てるもうひとりの自分だって他人のようなもんだし。
なーんてややこしいことは兎も角、まあ要するに、ある日突然知らない人と暮らすことに何の不安も嫌悪感も感じない訓練を受けてきたってことなんですね。
いや、もしかしたら違うのかな。もともと備わってた資質なのかもしれない。というのは、自分と他者、とか家の内外とかの区分けがあんまりない。他人と思えば自分を含めて全てが他人、家族と思えば人類みな兄弟。偶然出会った登場人物たちが擬似家族を築く、という作品に惹かれるのはそのせいだ。

最初の居候は母が疎開先の群馬でお世話になったというご家族の息子だった。

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