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草の根広告社/父子手帖(ニコニコチャンネル復旧までの臨時更新)

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「せんそう」

「せんそうで焼かれちゃったんだよ」と娘が悔しそうに言った。
「なんにも悪いことしていないのにばくだんを落とされちゃったんだよ」

 読書感想文を書くんだ、と再読していた「窓ぎわのトットちゃん」を読み終えた直後のことだった。トットちゃんの世界に没頭するあまり、娘は「夜は毎日トモエ学園に行っているの」とうれしそうに話していた。

「今の小学校が終わったらトモエ学園に入ろうと思っていたのに、せんそうでなくなっちゃったんだよ」

 トモエ学園が実在の学校だというのは理解している。大人になったトットちゃん――黒柳徹子さんのドキュメンタリーも見ていた。だからこそトモエ学園は今もある学校、すなわち本当に入ることができる学校だと思っていたようだ。

「違うって自由ってことっていうのは一緒にいても合わせなくていいってことだよね?」

 ひとり一人が自分らしくいられる学校。

「小林先生に好きなことを一緒に見つけてもらったタイちゃんは日本一の物理学者になったんだよ」

「君は本当は良い子なんだよ」と子供を矯正しない。何かを好きな心をまっすぐに育んでくれる。何を好きなのかわからない子には一緒になって「自分の心」を探してくれる。

「好きなことを仕事にしている人は楽しそうに仕事をしているよ」
 好きなことを仕事にしているトットちゃんやタイちゃんを見て自分もそんな風になりたいと思っていたのだという。

「あーあー、トモエ学園に行きたかったのにな」
 娘がとても悔しそうにそう呟いたあと、ぼくの目をまっすぐに見て尋ねた。

「ねえ、せんそうってなあに?」
 ぼくは答えに窮した。
「どうしてなにもわるいことしていないのにばくだんをおとされたりするの?」
 娘の声に悔しさと怒りが滲んでいるのを感じた。

 娘はまだ7歳だ。国家や政治について何も学んでいないのにいきなり戦争だけを説明するのは難しいと思ったし、今はまだその悔しさと怒りだけで十分のような気もした。だからこれだけ伝えた。

「戦争は自由を奪うものだとパパは思うよ」

 それが〈ある側面〉から見た偏った真実であることは理解している。〈別の側面〉から見れば「戦争は自由を守るもの、自由を勝ち取るもの」という真実が存在することも理解している。でも、娘が今滲ませている悔しさや怒りを言語化するにはその説明が一番相応しいような気がした。

「せんそうはじゆうをうばうもの」
 娘が真っ白なノートにその言葉を書き綴った。

 子供は真っ白だ。戦争を肯定する大人たちの元で育った中には自分の身体よりも大きなカラシニコフで人を殺すことを当たり前にやってのける少年兵もいる。戦争に対してどういう立場の人間になるかは教育や環境が大きく影響する。米軍基地のある町で米軍機の爆音と夜間訓練の差し止めを求める大人たちの抗議を見ながら育ったぼくが米軍基地にあまり良い感情を持っていないように。

 何をどう伝えたところで何らかのバイアスが掛かる。いや、もっと中立な立場でこう説明できるはずだ。いやいや、日本人としてはこう説明すべきだ。いやいやいや、今の世界情勢ではこう説明すべきだ。いろいろな意見があると思う。ぼくの娘に対する説明は間違っていると糾弾する人もいるだろう。そのすべてを理解した上で、ぼくは娘に「戦争は自由を奪うもの」という種を蒔いた。自分の責任でその種を蒔いた。それがどんな風に育っていくのか。様々な考えがある世界の中でどんな存在になっていくのか。「せんそう」を子供にどう伝えるかというのは子育ての中でもっとも難しい問題のひとつなのではないだろうか。

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