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モノカキがちょこっとアドバイスします(8)

てい! 

ということで、寝ようと思ったのに眠れなくなったので勢いでnoteを書き始めておりまして、意味不明なテンションになっておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

今回、また掌編作品を頂きましたので、ご紹介しようかと思います。
その作品はこちら!


「おれ」


ということで、僕のnoteに寄せられた作品の中では、冒頭からなかなかの問題作になっておりまして、評価の仕方というのも結構難しい作品だな、というのが正直なところでございますね。

僕はエンタメ作家なので、こういう純文系作品というのは普段あまり読まないですし、書かないですし、それについてどうこう言える立場でもないなあとは思うのですが、折角お寄せいただきましたので、僕なりに考えたことをお話していくことにいたします。

また、いつもの通り、甘口・中辛・辛口の三段階でアドバイスさせていただこうと思います。今回は、辛口もそんなにキツいこと言ってないんじゃないかと思います。

ではいってみましょー。


■アドバイス~甘口~


はてさて、「自分の実力が不安」ということを書いてくださっておりますけれども、たぶん、ある程度はご自分の筆力をわかっておられると思いますが、じゅうぶんお上手だと思います。
多少、文章の粗さ、拙さみたいなところはありますが(それがあえて拙い雰囲気を出そうと意図したものなのかはわかりませんが)、おおむねしっかり文章も書けていると思います。

冒頭、いきなり「おちんちん」から始まるので、これはヤベエのが来た、と思いましたが、それも質問者さんの計算だと思いますし、中盤に差し掛かったところの文体や空気感の変化も、もともとちゃんとした文章が書ける人の文章だな、というのがわかるので、ちょっと安心しました。おちんちんって言いたいだけの人じゃなかった、みたいなね。

作者の主観や感性に依る部分も多くて、僕も完全に本作を読解・理解できているかはわかりませんけれども、本作は軽い語り口で語られるお話ですが、テーマは生と死の間で揺れ動く自己のアイデンティティに対する底知れない、先の見えない不安に苛まれる心、のようなものかな、と思います。放尿や自慰行為といった生物的、本能的な行為と、存在感の曖昧な「おれ」との対比、垂れ下がる陰茎と句点、生きている自分と無駄に死んで消費されてしまう精子という存在の虚しさ、みたいな対比関係や暗喩みたいなものもかなりしっかり入っていますし、死とは何か、無とは何か、みたいな哲学的命題も中に含まれていて、「おちんちん」から始まるとは思えない繊細な作品であったなと思います。性器と自分の自我が密接にかかわるところとか、フロイト哲学っぽいなと思ったりしました。フロイトもだいたい全部おちんちんから入りますからね。

なんかこう、作中の主人公はきっと鬱とかパニック障害、あるいはそれらを併発しているみたいな状態で、毎晩しんどい、そして今日は朝から体が動かない、外に出られない、でも生きていくためには外に出ていかなければならない、みたいな境遇の人なのかなと思います。常に希死念慮に苛まれて、横になると生きること死ぬこととはなんぞや、と小難しいことを考えてしまって眠れない、みたいな。質問者さん自身、こういう経験がおありなのでしょうか。着ているもので口を覆って呼吸(過呼吸?)を落ち着かせるくだりなどは、経験者っぽいリアリティがあるなと思いました。

最後、(おそらくは首を吊るために用意された)三打ちロープが「おれ」の救いになっているのかなあ、と思わせるのも、なんかやりきれないなあというか。いつでも死ねるということが、自動的に生かされている「おれ」が「自らの意思で生死(右下に垂れ下がるちょん?)を選択できる」という安心感になっているんでしょうかね。

日々の生活でちょっとだけ「快」に動いたときの生きているという感覚は一瞬で、その後また何もない「無」と言われるような自分に戻ってしまう。だったら、一瞬、苦しい、痛い、という感覚を味わって死んでしまえば、それは今の「おれ」とあまり変わりがないんじゃないか。みたいなことを考えてしまうんですかね。

「蛇」という不死の象徴と、人を死へといざなうロープを重ねるのもオシャレだなと思いました。そこまで意図したかはわかりませんが。

アマチュアの方だと、このボリュームの作品にここまでいろいろな対比関係を練り込もうと意識する人はなかなかいないと思いますし、文章をリフレインさせるキメどころ作る、というのもよくわかっているなあと思います。最後まで続く軽い文体の行間から覗く痛々しさ、悲鳴みたいなものも感じますし、読む側としては文体の好き嫌いはあるでしょうが、こういうきちんとしたテーマ性を持たせる作品を長編作品でも書いておられるなら、賞に応募したとして、二次三次は普通に行くんじゃないかな?と思います。

■アドバイス~中辛~

さて、かなり良く書けている、と思う一方、惜しいな、と思うところもありましたので、エンタメ作家としての視点から、技術的な部分で少しアドバイスができればと思います。

(1)「おちんちん」のとこ長い問題

「パジャマパンツをぬぎぬぎおちんちんをひっぱり出した」という冒頭の放尿シーンは、良くも悪くも非常に強烈なフックを読者にかける部分ではあるのですが、文体も含めてかなりの劇薬ではあります。こういう表現を嫌う読者というのも一定数いて、冒頭の時点でもう読みたくない、と思われてしまったら結構損だと思うんですよ。

で、現時点ではこの冒頭のシーンの比重が高くて、自慰のくだりも合わせると全体の半分くらいを占めているので、これをさらに半分くらいのボリュームに抑えたほうがいいだろうと思います。

冒頭部分は、もう少し早めに文体のトーンを落としてあげて、「※決してふざけているわけではございません」というのを早めに読者に知らせてあげたほうがよい印象になると思いますね。

長編でもやりがちなんですが、冒頭部分は書きすぎちゃう人が多いんですよね。言い回しを工夫したりとか、ディテールの描写にこだわったりとか。でも、そのままのテンションで長編なんか息が続かないので、後半に行くほど淡白になって、後から読み返すと冒頭だけ異様に細かいな、切り取ってるコマ数が多いな、となることが多いです。

なので、冒頭の文章はかなり削って、話のキーとなる文章だけを残し、細かい描写もざっくり取ってしまったほうがバランスがよくなると思います。そうしても、物語の質はまったく落ちませんので。

書き出しもちょっとヌルっと入ってくる印象なので、状況的にトイレに入っていることはすぐわかりますから、個室内に入るところの描写とか要らないんじゃないですかね。冒頭1行でいきなりおちんちんを引っ張り出したほうが、ツカミとしては強烈になると思います。

もう少し、序盤のキレを出したほうがいいかなと思いますね。
おしっこのキレが悪いのとか気持ちのいいものでもないと思いますしね。

(2)文章空ぶかし問題

「甘口」でも書きましたが、質問者さんは文章がお上手で、ボキャブラリーも豊富だと思います。ただ、それ故に、捻った言い回し、凝った表現を使いすぎ、というところは否めないかなと思いますね。

ぎざぎざな「く」の形をしてつきだす〜
筋肉と脂肪で膨れ上がった太ももをみちみちっと縮ませながら~
(むずむず)がやってきて、足元のトイレまでのレールが~

「おれ」本文より

こういった言い回しは、やりすぎると読者が飽きてしまう、というところがあります。捻った言い回しが冒頭からフルスロットルで続いていくので、ちょっと冗長感があるな、という印象になるというか。作者のワードセンスの見せどころではあるのですが、普通に一言二言で表現できるものを、わざと読者に回り道させているところでもある、というのは自覚しておく必要があります。

これらの表現は、読者としては、どういう意味?と一回咀嚼しないと呑み込めない固形物みたいなもので、常に考えさせられながらの読書は、読者も疲れてきてしまうんですよね。ストーリーについても考えながら、地の文の文意を咀嚼しないと呑み込めないっていうのは、結構な労力になるわけです。地の文はある程度、液体のように飲めるものであったほうがスムーズに読むことができます。
「読みにくい小説」というのはだいたい言い回しが凝っていたり難しかったりするのですが、それが絶対ダメだ、というもんでもないので、この辺は作家性と物語とのバランスを取っていくといいと思います。

僕も、受賞作の講評で「文章を空ぶかししすぎ」と言われたので実感もありますけれども、基本的には、アタマから自分の持っているボキャブラリーやワードセンスという武器を全ぶっぱしながら進めていくのではなく、緩急を意識して、平坦でオーソドックスな表現も交えつつ、要所要所で自分の匂いのする文章をどかんとぶっ放していく、というほうがいいんだろうと思います。

(3)体言止めの使い方

体言止めは文章にリズムの変化をもたらす効果があるのですけれども、本作ではここは体言止めにしないほうがいいリズムになるのにな、というところがちょっと気になりました。

なかなか言語化しにくいところで、センス論になってしまうのですが、文章を音楽的にとらえたときに、ここで体言止めの休符が入るのは気持ちよくない、というところで体言止めを使ってしまっている感じですね。読んでいて、文章がきれいに流れずに、体言止めによってぶった切られるような感覚があるのです。

例えば、冒頭の「ぎゅーっと抱きしめていてくれたので、きっと安心。」というところも、「きっと安心だ」と、普通に結んだ方が、読者としては安心すると思うんですよね。目測通りのところに文章が着地するので。

「おれは〜」から、「安心」までは段落もなく一息で読むことになるので、最後に「安心↑↑」みたいに跳ねてしまうと、なんか軽すぎて居心地が悪くなるというか、その前までに蓄積した文章を受け止めてくれない感じがします。「安心だ↓↓」と着地してくれた方が締まるんですね。

「結構いい感じ。」もそうで、「結構いい感じだと思った。」などとしたほうがかえってテンポが出て、きれいに文章が流れると思います。

「おれの吸い込み口を壊しちゃうときの、その感じ方。」というところは入れ方がとてもよくて、その一文の余韻から、行間に埋もれた主人公の本性みたいなところがふわっと香る感じがします。こういう使い方はいいと思いますね。

なので、結構使いどころを考えないと、体言止めは文章を必要以上にふわふわさせて、ただ軽いだけ、という感じに見せてしまいますので、出しどころ、使いどころには気を付けたほうがいいかなと思います。

改行の使い方などから見ても、質問者さんも結構文章のテンポを、息継ぎによる演出、みたいなところも考えているんじゃないか(あるいは自然にそういう文章を書くセンスがある)と思うので、こういう細かいところもこだわってみると、なお美しい文章が書けるようになるんじゃないでしょうか。

(4)「掌編」としては50点

上手ですよ、と言いつつの低評価になりますけれども、なんで点数が半分になってしまうかと言うと、この作品にはアイデアやストーリーがないからです。

本作は、私小説的というか、「おれ」のモノローグが続いていくというのがスタイルではありますし、プロの作品でもそういう作品はもちろんあるのですけれども、せっかく人に見せる掌編小説を書くなら、なにか起承転結、フリとオチをしっかり作ってみてほしかったな、と思います。

誤解を恐れずに言うと、今回の作品みたいな掌編というのは、書くのが簡単なのですよね。本作は、小説というよりは、日記とか、SNSに自分の考えを書くとか、そういう書き物の延長線上にあって、(おそらく)質問者さん自身の考えの吐露を、作中の「おれ」に変わってもらっている、というところでギリギリフィクションになっている、という感じがします。読者にとって「おれ」が完全なフィクションの中の人物になり、語られていることを作者ではなく「おれ」というキャラクターの人格が発する言葉として受け止めるには、「おれ」のキャラ造形やバックグラウンド設定、世界観みたいなところを提示する必要があるのです。

この文体、雰囲気で、60枚くらいの短編を書きなさい、100~200枚の中編を書きなさい、と言われたら、読ませるものを書くのはかなり難しいんですよ。作者が世界を見て考えていることのストックが相当ないと書けませんし、一場面でそんなに引っ張れませんし。でも、掌編くらいだと、なんとなくふわっと頭に浮かんだことだけでも一本さらっと書けてしまうわけです。

そういう意味で、きっちりフリとオチがあって、短い文章の中でも何か出来事が起きて、結末に至る、という構造を作る方が掌編でははるかに難しいですし、これができないと長編がうまく書けないのです。そこが評価できないと、やっぱり実力のうちの半分しか見えてこないなあ、ということですね。

なので、質問者さんが他の作品ではもっと構造がしっかりしたものを書いている、それが書けるという前提の上で、今回は私小説的アプローチをしました、ということであればいいのですが、この作品だけで判断する限り、これはまだ小説というところまで昇華しきれていない作品かな、という感じがします。なので、習作については、もっと「小説を書く」という意識を高めて書いたほうが上達も早くなるのでは、と思いました。

■アドバイス~辛口~


質問者さんがどういう年代の方かはわからないですが、作品全体を読んだ時に、感性が若いな、という印象がありました。

たぶん、こういう文体でなくても質問者さんは文章が書けると思いますが、あえてこの文体を選んだこと、「おちんちん」など、幼稚ともいえる表現をあえて使っていることなどもそうですが、この「あえて」というところが書き手としての若さであるように感じます。露悪的、とまでは言いませんが、定石や常識をあえて外すことが作家としての自分のアイデンティティになるという考えなのかなあ、という。そこのはずし加減のバランスがまだ整ってないので、ちょっと外しすぎになってしまっている、という部分はあります。方向性が間違っているわけではありませんが。

尖らせなくてもいいところを尖らせている、みたいな感じでしょうか。

実年齢がどうあれ、質問者さんが賞を獲るくらいの評価を受けるには、たぶんもう少しだけ書き手として歳を取って、視野を広げる必要があるんだろうな、と、僕は思います。

多くの作家さんは、若さ、みずみずしさにあふれた作品を生み出すときにも、どこか俯瞰した視点というのを持っていることが多いです。10代で賞を受賞されている作家さんも、お若いながら、こういう客観視点を強く持っている人が多いんだと思うんですよね。10代での受賞者が女性作家さんに多いのは、女子の方が男子より精神的な成熟が早いからだと思います。そういう俯瞰支点、客観視点を持って読者の存在を認識すると、本作ももう少し表現の仕方、見せ方が変わっていたんじゃないでしょうか。

あくまで、本作一作から受けた印象なので、他の作品を見ると印象が変わるかもしれませんが。

ただなあ、と思うのは、視野を広げろ、というアドバイスも、これも難しいところで、まっすぐな主観というのは書き手の足かせにもなるのですが、時として武器にもなりうるものだと思います。客観性を持ちなさい、読者のことを考えなさい、というのも、あくまでエンタメ小説の方法論なのですよね。僕が言う話と、純文の新人賞で評価されるところ、足りないと言われるところ、みたいなのは基準が変わってくるのだろうと思います。

本記事冒頭で「評価が難しい」と書きましたけれども、本作を評価する人、全く評価しない人って真っ二つに割れるんじゃないかと思うんですよね。だから、この記事が言うことは良いところも悪いところも絶対的な評価だ、などとは思わないでください。質問者さんの質問の動機からすると、本末転倒かもしれないですけどね。

ここまでいろいろ書きましたけれども、僕の言うとおりにする必要性は皆無で、質問者さんは書きたいものを書きたいように書いたほうが実力を発揮できるタイプなんじゃないかと思います。ただ、それ故に、新人賞に挑もうとしたときに、あるいは商業作家になった時に、壁にぶつかることもあるんじゃないかと思うんですよね。

僕の言ったことが壁をのぼる手助けになるかもしれません。でも、全然違う方向で壁を乗り越えていくこともできるでしょう。そもそも壁にぶち当たらずにするっとこのままいってしまうかもしれない。純文作品の評価基準は僕の中にないので、そこはちょっとわからないところです。

僕以外の人の評価が読めない作品ではあるので、基本的には質問者さんは自分の思う方向に向かって走り続けていってもらって、壁にぶつかった時に、この記事を思い出して、参考程度にしてくれるといいのかなと思いました。


ということで、なかなか面白い作品をお送りいただきありがとうございました。いやー、ちょっとね、僕の専門範囲外の作品ではあって難しかったですが、なにかの参考になるといいと思います。

これからまだまだ成長されるのだろうと思いますが、少なくとも、現時点でモノカキとして必要な視点、感覚はしっかり持っておられると思うので、頑張って書き続けてみてください。


さて、モノカキTIPSでは質問を随時募集しております。小説に関するご質問、その他答えられる範囲のご質問であればなんでも回答させていただきますので、どしどしお寄せくださいませ。

 「小説読んでみてください!」系のご質問の場合は、以下ご注意くださいませ。

・長編は読めないので、2000字くらいまでの掌編で。
・文章の校閲や校正はしません。
・具体的な修正案やアイデアの要求はご遠慮ください。
・【重要】あくまで、僕が自著宣伝目的もあって無料で受け付けているだけなので、他の作家さんにアドバイス依頼をかけるのだけは絶対にご遠慮下さい!

「ちょこっとアドバイス」のルール


9月22日に、文庫新刊が出ます!

予約受付中でございますので、モノカキTIPSを見て、こいつどんな小説書いてるのかな、と思っていただけましたら、先日発売の新刊と併せてポチッとしていただけると大変幸いでございます。




小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp