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非拡張

おはようございます。きょうも書いていきます。

平野啓一郎さんの、「カッコいい」とは何か、という本を読んでいて、まだ三分の二くらいなのだが、現状で考えられること、思い当たる節を書いてみようと思う。

大まかにこの本の要点を説明すると、「カッコいい」というのは体感的であって、前例(正解)のないものであり、理知的で、前例のある「格好良い」とは異なる、ということだ。「格好良い」は「格好がつく」など、何か「こうあるべき」ものが先に来るが、「カッコいい」にはそれがない。「あるべき」が無いのに、体感的に感じてしまうのが「カッコいい」の正体であると、僕は現状そう理解している。

それで思い当たったのが、僕が「カッコいい」と感じる人は、「非拡張」的な人に多い、ということだ。「非拡張」的というのはあえて日本語らしく書いてみたが、つまりは「アナログ」な人ということである。たとえば、喫茶店のマスターとか、古本屋の店主とか、そういった人たちが該当しやすい。

彼らの「カッコいい」の正体は、拠るべき場所を持たないからではないかと思う。拠るべき場所とは「ここではないどこか」である。その場所や土地に根ざしている人は「カッコいい」と感じる。

つい先ほど「アナログ」と書いてしまったので、じゃあ「デジタル」の人はそうではないかと思ってしまうが、それはツールの話というより、生き方や考え方の話になると思う。ここでの「アナログ」の意味は多くを求めないとか、ゆっくりとか、そういう「歩み方」の話をしている。(とはいえ、ツールと思考の関係は強い。)

拠るべき場所を持たない、ということは、自分の城を持つ、土地に根ざす、と一見矛盾しそうだがそうではない。どの場所にも寄りかからない、甘えすぎないというのが、根本にあるのだ。だから彼らは状況に応じて、城も土地も難なく手放せる。

それを「非拡張」的な人々、という風に表現した次第である。足るを知る人たち、ということになるのだろう。

今日も読んでくださってありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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吉澤 馨
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