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捨てるより留まる

おはようございます。きょうも書いていきます。

何かに影響されて、何かを選び、捨てることもあれば、留まることもある。使っている辞書が使いにくかったので、新しいのに買い換えようと思った。しかし、調べてみると辞書の世界は深く、優劣の差があるのではなく、好みであったり、場面での使い勝手の差があるということを知る。考えてみれば人間では当たり前のようなことを、物に対してはできてないかもしれない。

座っている椅子がギシギシと鳴るので、新しいのに買い換えようと思った。しかし、調べてみるとギシギシと鳴るのは、ネジなど結合部分に油が足りていないからで、100円ショップなどで潤滑油を買ってきて差せば、音は軽減されることを知る。これも考えてみれば当たり前で、もしかすると幼い頃の方が何もなかったが故に、自分の頭で考えて、対処していたのではないか。

かなり適当に、そのときやその場の勢いで、多くのものを捨てたり、換えていたりすることに気がつく。情報や選択肢がたくさんあるからなどと言い、調べたり考えたりすることを放棄し、ただ目の前にある気に入らないものを排除しているだけではないか。思えば「私は嫌いな人とは付き合いません」という誰に向けてなのかわからない宣言も、ただ自分の狭いキャパシティと考える手間を省きたいという怠慢の、免罪符にしたいだけなのではないか。

選択して、消費している、生き方である。それは一見豊かで、ゴージャスに見えるが、実は細かな世界に足を踏み入れることを面倒がり、自分の責任で物事を推し進めていくことから、逃避したいだけなのだろう。選択や消費も立派な責任であると物申したいなら、それは自分以外の誰かでも、まったく同じ結果が生めないだろうか。選んで捨てるだけなのだから。

どうしたら留まれるかということに、頭と心を使うのは、チャレンジングで有意義な(そして本当に価値のある)ことであるように思う。

きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。

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吉澤 馨
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