親の世話
人が簡単に死ねなくなり、年をとることが今ほど難しい時代は無いと初めて聞いたのは、自分がまだ20代のころだった。
歩いて5分の実家に独りで住んでいる母を訪れる際、自分に言い聞かせていること。
<無理をしない>
忙しい平日と休養で過ぎる休日。
実家を訪れる回数を無理に増やしても、疲れが蓄積するだけで続かない。
自分の気持が云々なんて言えない状況だとしても、言えない状況なりに無理をしない。
不機嫌な気持になってまで訪ねるのは 親も望まない。
<土産>
できる範囲で構わないので、ほんの少しでいいから、菓子などの手土産を持っていく。美味しいものを食べることはアンチエイジングにも効果があるというし、自分も普段飲んでるより少しいい酒を買い、互いにいい時間を過ごす機会にする。
<相談>
ひげが生えはじめたころから 心の内を言葉にすることは少なくなったけど、困っていることを話してみると、親身になってくれる。
<昔話>
この間、座興として、子どものころの近所の人を、大人になった自分の目で見て、ほとんど馬鹿扱いなくらいに悪口を言ってみた。訪れたときは何となく元気が無かったけど、やがて生き生きと話し出した。
昔の話をしていると、ときどき 初耳の話が出てくることがある。われわれだって、子どもが大きくなったらぼつぼつ話そうかと思っていることがあるくらいで、親にもまだしてない話はあるのだ。
<新聞>
自分が興味のあることでいいので、いくつか話題を提供してゆくと、そのうちひとつくらいは当たりがある。それでも盛り上がらないとき、うちの場合は 皇室か芸能界の話をする。
<話題の転換>
以下の話が延々と続くと疲れてしまうので、自然な範囲で話題を変えることにしている。
① 年金や今後の生活費など金の話
② 何度も聞いた体調の話
③ 自分(私)のきょうだいの義母の話
中でも③のときの母は、味がしなくなった枕くらいの大きさのガムを反芻する牛か駱駝に見える。
<タイムマシン>
上と矛盾するようだが、何度も同じ話を繰り返す場合、幼いころの親に会っているのだと思うことにする。
そう自分に言い聞かせてもまだ大変なときは、仏壇に向かって飲んでいると思うことにする。もっと大事にしとけばよかったと後悔する自分を思い浮かべれば、目の前の親に腹も立たない。
両親はきょうだいでも下のほうで、祖父母は私が小学校に上がるときにはすでに亡くなっていた。鏡にうつる自分の顔は、親を育てた祖父母にそっくりなのかもしれないと思う。
子どもが幼いころ、何度も同じ遊びをせがまれるのには我が子ながら辟易したけど、自分が子どものころ、親はそうやって自分を育ててくれたのだ。
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