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辞めることに恐れがある自分との対峙

先週会社の仕事中、上司と1on1をした。その時に辞めるチームメンバーの話になった。

その人はステップアップするために入社わずか2ヶ月で辞めることに。

「仕方ないよね、そりゃ条件がよくなればそうすると思うよ」

と上司。

そういえば同じチームの派遣さんも、もうすぐ満期を迎える。またまた同じく辞めてしまったりしないのだろうか。

心配になりわたしは

「彼女にも辞められちゃったら困りますよね。続けてくれるといいなぁ」

と話す。

「でも、彼女の人生があるんだから、もし辞めることを選ぶならそれも仕方ないよね」

「えっ、でもいてくれた方がいいですよね?」

「そりゃそうだけどさ、やりたいことがあって選びたい道があるなら、もうそれは俺ができるのは全力で応援することだよ」


そう語る上司の言葉でなんだか涙ぐんでしまった……。

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転職などを含めた人生の帰路に立つ回数が多かったわたしは、多分頭の中にこの「辞める」にまつわる苦い経験が残っていたのだと思う。

もう10年前のことだ。

私は初めて就職した会社を辞めて転職した。
何度も体を壊したり、不調をきたしていて、限界を迎えていたからだ。好きだった会社と仕事なので、泣く泣くの選択だった。

次の仕事は結婚を見据えて、ライフを重視した仕事、だけども好きだった職種を諦められなかった私は同業他社を選んだ。

その同業他社を選んだことをよく思われなかったのだろう。

「裏切り者」

と言われて罵声を浴びたり、仲良くしていた先輩からSNSの繋がりを解かれたことがあった。

わたしはひどく傷つき、それからは職を変えるときは「あんまり話さない方がいいんだろうなあ…」と、理由を濁すようになった。

もちろん全員がそんな人ではないし、話せる相手や話さなくてはならない相手にはきちんと話す。これまでのような出来事が全てではない。

たまたまかもしれないけれど帰属思考が高い組織で「辞めてはならない」の呪縛に捕まってしまい、その後長い間わたしの思考内で引きずり続けなくてはならなくなったのだろう。

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ずいぶん昔のことだと思っていたけど、わたしの中で「辞めるはよくない、後ろめたい」の細胞が散りばめられている。あ、わたしまだ呪縛に苦しんでいる、と気づいたら上司の言葉に自然と涙が溢れてきた。自分の話をしているわけじゃないのに。

今、わたしもまた仕事を辞めるか悩んでいる、もちろん上司には言っていないけど。会社とライターの仕事、二足草鞋だけどどちらもぱつぱつで限界を迎えている。

どちらもやりたいことだが、限界を迎えているなら自分なりの答えを出さないとならない。

答えを出すことは難しい。でも答えを出すにあたって「恐れ」から脱却してよいのだ。自分の気持ちを正直に優先してよいのだ。

上司には初めて真正面から肯定してもらえた気がした。それは自分に向けてのセリフにも聞こえた。

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恐れとの対峙をしたわたしは今、友人が提供する体も思考もデトックスをするプログラムを受講中だ。

上司との会話での気づきは、プログラムを受講しているからなのか偶然の出会いなのか、このタイミングだからこその導きのようにも感じた。多分思考の変容にむけた一歩を歩み始めた気がしている。

さぁ、せっかく思考がクリアになり始めていている今だからこそ、わたしのバイブルである野本響子さんの「日本人はやめる練習がたりてない」をもう一度読もう。


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