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救われる人はいるのか?


釈迦は悟りを開いた時、全ては終わったと、
座ったその場所から動かなかったといいます。

それを見ていた天の神々はこう、聞いたそうです。
ブッダとなったあなたは、なぜ人々を救うために立ち上がらないのですか?
釈迦は答えました。「この世界に救われる必要がある人などおりません。
みな、すでに悟っているのです」と。

あなたも私も、世界のすべての人々、生きとし生けるもの、
目に見えるものや目に見ないものも、ありとあらゆるものすべては
一つの大いなる存在」です。

一見違って見えるすべてのものは、実は同じもの、同じ存在なのです。

「海」へ行くと、たくさんの様々な「波」が見えます。
波は形も大きさも、同じものは一つとしてなく、
それぞれが独自の姿と命を持っているかのように見えます。
しかし「波」は存在していません。
「波」は「海」だからです。
「波」がもし実在しているなら、「海」を取り除いても
「波」は残るはずです。
でも、実際はそうではありません。「波」は「海」なのです。
本当に実在するのは「海」なのです。

ありとあらゆるすべてのものが、同じ一つのもの、同じ一つの存在なら、
誰が悟った人で、誰がまだ悟っていない人なのでしょうか?
誰が幸せで、誰が不幸な人なのでしょうか?
誰が救う人で、誰が救われる人なのでしょうか?

人の頭の中で繰り返される「思考」は全てを分割します。
思考はそれが役割であり、それはそれでいいのです。
しかし真実を忘れ、思考が真実なのだという間違いをしてしまうと、
人生は迷いと苦しみのベールに覆われてしまいます。
波は決して実在ではないからです。

釈迦は天の神々に説得されて、人々の救済に立ち上がります。
賢者は救われるべき人などいないということを知っています。
すべての人がすでに悟りを開いているのであり、
それは難行苦行を経て得るものではないことを理解しているのです。
知っていても、それを理解できるように、そのことに気づくことが
出来るようにと人々を優しく、時に厳しく導くのです。

私たちはすでに悟っている、すでに救われているんだという、
そのことに真に気づくために「気づきの道」は存在しています。
それは1歩たりとも歩くことのない旅であり、
今、ここに辿り着くための旅であり、
始まると同時に終わっている旅なのです。

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