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愛されたい私。そのためには...

人には承認欲求というものが存在します。

「無条件に私のすべてを受け入れてほしい」という思いが常にあるのです。
特にまだ小さい頃のこのことは、生命の存続に直結する大問題でもあります。

産まれてくるすべての人が、無条件に愛され、受け入れられて育つのなら、何の問題も起きないでしょうが、実際はそうではありません。
虐待や育児放棄などはもちろんですが、そこまで深刻ではなくても、
例えば兄弟がいて、受ける愛情バランスの微妙な違いさえも、
自己承認欲求に影を落とす可能性があります。

自分を受け入れてもらうために、人はとても残酷な選択をし始めます。
そうです。自分自身を虐待するのです。

自分を不幸にすることで、注目を集めよう、
やさしさや憐みの愛情を得ようとするのです。

☆家族の中で嫌なこと、大変なことをすべて引き受けてやっている人はいないでしょうか?

☆自分の好きなことではなく、まったく好きではない仕事や勉学をしてはいないでしょうか?

☆自分の意見よりも他人の意見を真っ先に優先してはいないでしょうか?

☆人生が過酷を極めていても、それが自分の運命なのだとあきらめ、
いつか報われる日が来ると、その地獄にひたすら耐えてはいないでしょうか?

これらすべては、一見そのようには見なくても「自己虐待」なのです。
なぜそんなことをするのでしょう?
すべては自分が認められるため、愛されるためなのです。

産まれてから一片の曇りもなく、
無条件に受け入れられて育ったことのない人は、自分が受け入れられるためには、何らかの条件が必要だと思うようになります。
小さい頃はいい子でいたら、成長にしたがって外見や職業、地位、
お金など、そういうものを持つことで、自分は受け入れられる、
認められると自分で自分自身に条件を課していくのです。

この言わば自己承認欲求を満たす物語は、必ず失敗で終わります。
劣等感や、自己欠乏感(自分は完全ではない)から始めたどんなことも、
さらなる劣等感・自己欠乏感を感じさせ、増大させる結果になるからです。

どうすればいいのでしょう?

この物語「自分は受け入れられていない」という物語を始めたのは
他の誰でない自分自身です。
受け入れられるためにはこれが必要だと条件を課したのは自分なのです。
それを本当に知ることで、あなたは自分自身を開放するのです。

あなたを無条件に受け入れられるのもあなた
あなたを突き放し、放り出せるのもあなた自身なのです。


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