保護猫パグー物語
この話は、2020年8月12日から始まる。
その日、愛犬を伴って2階のエレベーターホールへ向かうと、そこには知らない猫が寝そべっていた。
通常、集合住宅の2階以上に猫がいるのはおかしいが、我がアパートに限り日常風景。
この建物は外から猫が入りやすく、更にそれを利用してエレベーターホール横の住人が自分の部屋の前で猫を餌付けしているからだ。
一見フリーフードコーナーの餌場だが、昔からここを牛耳っているのは、女傑猫・パンダとその血族。
よそ者が餌の匂いを嗅ぎつけても、彼女らによって駆逐されてしまうのが常。新参を見かけても、いつも1週間ほどで姿を消してしまう。
だから、この時も次はないだろうと思っていた。
だが、猫はそれからも姿を現した。
現すというより、朝晩は必ず同じところに座ってじっとしている。
横を通りたいだけなのに逃げていくので、見かける度に「おはよう」「こんばんは」と声を掛けることにした。
これは、私が動物と仲良くなりたい時の常套手段だ。不思議とこれをすると餌をやらなくても必要以上に逃げなくなる。
案の定、この猫の場合も効果があり、横を通り抜けるくらいでは逃げなくなった。
度々見かける上に、逃げなくなったこの猫を私は「パグー」と呼ぶことにした。
この不思議な名前の元は"パグ"で、ご想像の通り犬のパグから取った名前だ。
犬のパグの語源は、どうやらラテン語の"パグナス(拳)"ということらしい。厳めしくもまん丸い顔のコイツにはピッタリだと思ったのだ。
■野良がしんどそうな野良猫
やがて、8月が通り過ぎ9月がやってきた。
そんな中、パグーは相変わらず居続けた。どういうわけか、コイツはパンダファミリーに見つからずに過ごせているようだ。
慣れてくると最初の頃のように厳めしい顔をする時間が少なくなり、素の顔が見え始める。
そこに、なんだか哀愁というか、妙な"しんどさ"を感じた。
私は長い間、野良猫とも付き合っているが、野良として生まれ野良として生きている奴は、飼猫のように綺麗で丸々と太っているわけでなくとも"しんどさ"のようなものがない。
人を適度に警戒し、適切に利用し、野良ライフをそれなりに謳歌している。だが、パグーにはそうゆうものが見えない。本当にしんどそうに見える。
野良暮らしがしんどい野良猫って……あれ?コイツ、生粋の野良じゃないのかな?
そう思ってから、どうにもこの猫が気になる。
そりゃ私が拾ったらいいだろうって話だが、我が家にはすでに猫がいる。
相性の前に伝染性の病気などを含めて考えると、無責任にホイと連れ帰ることはできないのだ。
さて、どうしたものか?
■猫故(ねこ)のお告げ
どうしようと考えを巡らせながら時間だけが過ぎる。
とりあえず、盛られた飯に口はつけているようだが、全くもって太る様子がない。 むしろ、どんどん毛艶が悪くなる。
何しろ最近の秋は暑い。9月になっても、まだ茹だる暑さだ。
そして最初は朝晩いたのが、やがて朝だけ、夜だけになっていった。
そんなある夜。
寝室のハンモックに揺られてまぶたを閉じていると、目を開いた覚えがないのにスッと目の前の風景が開けた。
そこには、見慣れた風景と"半年前に死んだ猫"がいた。
この入眠前幻覚か夢のようなものは、いわゆる「夢枕」である。
なぜか我が家の猫故は、伝えたいことがあると、このように姿を現す。
猫は生前乗ったことがないハンモックに、さも当然と言った風に乗り、その真っ黒な巨体を半分私の上、半分ハンモックの隙間に器用に収めて横たわっている。
ずっしりと体の上にかかる重みと、体の横の布が猫の重みで変な方向へ引かれるのを感じる。
重い。生前と変わらず重い。ハンモックが傾く重さだ。
幽霊に重さなどないだろう?と思われるだろうが、この「重さ再現」があるから、ただの夢ではなく霊験あらかたな猫故の夢枕なのだ。
彼らは、"夢枕に立つ"のではなく、"夢枕に乗る"のだ。
……しかし、よくその巨体をこんな隙間に収めたな。猫は死んでも猫だ。
そんなくだらないことを思いながら見ていると、生前と同じようにグルグルと喉を鳴らしながら、何かを探すように虚空に首を巡らし始める。
この日は、これ以上特別なことはなかった。
いや、あったのかもしれないが、 私には分からない。
なにしろ、心地よいゴロゴロ音に惑わされ、そのまま寝入ってしまったからだ。
翌日、目が覚めて猫故の言いたいことを考えた。
以前、違う猫故が同じやり方で夢枕に立ったのは、彼の後釜に座る猫が家にやってきた晩だった。
あれは、彼が死んで半年後の話だったが、そういえば夢枕の黒猫が死んでから、そろそろ半年経つじゃないか。
最近身近に現れた猫と言えば……
まさかな、と思いつつ、エレベーターホールへ行くと、その日に限ってパグーは姿を現さなかった。
どうしているかと思いながら一日過ごしたが、 更に翌日になるといつもの位置に座っていた。
その姿を見ると、やはり昨晩の夢枕が思い出される。
あの猫故は、野良から生まれた生粋の野良猫だった。
しかし、その臆病過ぎる性格のせいで野良からドロップアウトして我が家にやってきた。
まさか、一昨晩に現れたのは、自分と同じ野良暮らしがしんどそうなパグーを 「拾え」 と言いたかったのだろうか?
「まさか!」とは思いつつ、同時に「今日は触れる」という変な確信があった。
声を掛けながら屈んで近づく。
逃げない。
更に手をそっと出す。
まだ逃げない。
指先が少し鼻に触れる。
……逃げない!触れてる!
この時は嬉しさで動揺したせいか5秒ほどで逃げられた。
しかし、 ここから先は早かった。
朝は鼻先チョンだったのが、 夜には5秒に伸びた。
更にその3日後には、自分から近づいて多少甘えるようになり、最終的には餌なしでも抱き上げられることが確認できた。
他の住人がチュールを持って近寄っても逃げていたのに……これは、やはり、そうゆうことなんだろうか。
■パグー捕獲小作戦
そこからスケジュール調節も含めて準備開始。
諸々の準備後、捕獲予定日の2日ほど前から リーサルウェポン「チュール」を目標に投下する。
以前、住人が与えようとした際には見事にスルーされたチュールだが、今回は有効だった。
私がチュールを持って立った瞬間から目標の視線は私の手元に集中。
点火(開封)した途端に目標自らが突撃してきた。
そして、かぶりつきで着弾!
目標が自ら当たりにくるなんて、さすが"猫の麻薬"チュール。恐るべき威力だ。
そして、どれほど効いているか?を確認するために抱き上げるが、暴れも逃げもしない。完璧だ、完璧にチュールが効いている!!
捕獲当日。
少し離れた場所にキャリーを置き、チュール2本構えで挑む。
まずは1本目。何もせず普通に食べさせる。
食べさせつつ、ちょっとずつキャリー方向に誘導する。
そして2本目。夢中になって食べるパグー。
その隙を突き、一気に抱え込みキャリーケースの中に放り込む。
一瞬パニックになりそうに見えたが、閉めた扉の隙間から差し入れられたチュールを 食べ続けるパグー。その間に扉を完全封鎖。
……完膚なきまでに捕獲成功だ!!
■素性不明の行儀のいい猫
私はこれまで何度となく野良猫を保護したが……ここまで大人しい猫は見た事がない。
大体は鳴いたり暴れたりするのだが、パグーはそのようなことが全くなかった。むしろ、玄関先に置かれたケージに向かって威嚇する先住猫の方がうるさい。
翌日病院に連れて行った際も、ほぼ無抵抗でキャリーから引き出され、大人しく触診されていた。
ここでやっと判明したのだが、パグーには歯が数本しかなかった。
そりゃ、あの山盛りのドライフードを食べられないわけだ。
駆虫は外にいたから当然必要であり、猫エイズなど一般的な病気については全て陰性だった。
気になるのは、やや脱水気味だったのと 腎臓の数値が悪いこと。
脱水もそうだが歯と腎臓のへたり具合から行くと、そこそこの年(10歳以上)ではないかという。
その後、しばらく近所に聞き込みをしてみたものの、パグーを知る人は誰一人としていなかった。
里親を探しても良かったが体調や年齢も考慮すると難しいため、必然的に我が家の飼猫となった。
しかし、飼えば飼うほど やはり生粋の野良とは言い難い猫である。
最初は先住猫とのトラブルを避けるために ケージに入れていたのだが、別にそこを嫌がるでもない。
まだまだ血の気の多い先住猫を特別気にすることもない。
たまに威嚇&猫パンチをされた時は、しおらしく頭を垂れているが、いなくなった瞬間に世渡り上手なサラリーマンのように態度を変える。
また、外にいた頃から顔を合わせていた犬は、脅威を感じないどころか先住猫よりも下に見ていたらしく、気に食わないことがあれば遠慮なく猫パンチを加えていた。
そして驚きなのが「シャンプー・掃除機への耐性」だ。
駆虫終了後に流血覚悟で「丸洗い」を決行したのだが、ほとんど嫌がらない。そりゃ喜びはしないが、鳴いて暴れるなどを一切しない。
そして大体の犬猫が恐れおののく掃除機の轟音にも全くもって怯える様子も 驚く気配もなく、毛を吸われても平気だ。
始めから布団のセンターを理解しており、私が横になれば、さっとやってきてくっついて眠る。
「人慣れ」というよりも「人と生活すること」に慣れている。
間違いない。コイツは絶対に「元・飼猫」だ。
■いつまで一緒にいれるか分からないけれど
出自、年齢などが不明すぎるパグーだが、ただ一つ確実に言えるのは、すでに腎機能低下を起こしているため、この先長く一緒にいるのは難しいこと。
実は情報収集の折、ご近所さんにそんな話をしたら 「死にかけじゃない!」 と答えが返ってきたのだが……
でも、生き物は必ず死ぬんだ。皆、生まれた時から死に向かって歩いているんだ。
この世の生きとし生けるものは、皆が皆"死にかけ"じゃないか。
ただ、その
「死にかけの時間をどう過ごすか?」
たった、それだけのことじゃないか。
あの夢枕に立った猫の時もそうだったが、私は野良だった猫を拾って飼うのが正しいことなのか今でも分からない。
先住猫のように、目が開くかどうかの子猫だったら正しいのか?
外の自由と残酷さを知った大人の猫では間違いなのか?
これは答えのない問答で、問答は猫と暮らす限り続く。
何年経っても何匹と暮らしても 何匹見送っても続くのだ。
でもひとまずは、パグーが気持ちよく暮らせるように私ができることをしようじゃないか。
そんな覚悟、最初にコイツを抱き上げた時から、 とっくに出来ているんだから。