見出し画像

クレタ島はアトランティス文明の名残?ハロウィーンはアトランティス崩壊前夜?

今回はバシャールからの情報で得たアトランティスの話で、クレタ島のクノッソスがアトランティス文明の名残があるという件について非常に感慨深かったので記事にすることにした。今年そのクノッソスを訪れてすっかりファンになっていたからだ
バシャールはダリル・アンカさんが35年以上チャネリングしている高次元の宇宙存在で、動画も書籍も多々あり、自分もワークショップに参加したことがあるが、その時のブログ記事はこちら今回の記事はすべてこのバシャールからの情報でその情報源となる動画はこちら

クレタ島の話にいく前に、まずアトランティスの崩壊の時についてバシャールからの情報を書き出してみる。それによると、ハロウィーンはアトランティス崩壊前夜のことだった。そして今日11月1日がアトランティスが海に沈んだその日だという。

10月から11月へ移行するときがアトランティス崩壊のときだ。10月31日 Hallow’s Eve=ハロウィーン、11月1日 All Souls Day、11月2日 All Saints Day と3つの聖なる日が現在あるが、そのもともとの由来は、崩壊前日が10月31日、崩壊が11月1日、崩壊翌日が11月2日であったため、これらの日を偲んでこのような聖なる日が設けられた。今から約 12,800 年前、紀元前 10,800 年と呼ばれる時代が、何千年も続いたアトランティス文明の時代の終わりなのだ。アトランティスがあったのは大西洋のバミューダやキューバあたりだ。

バシャール

さらに崩壊の時について続く。

崩壊に至ったのは巨大な彗星の衝突による。巨大な彗星の破片が地球の軌道に入って北米と大西洋の地域に1年に2回破片が大量に落下するという事態が20年間続いてその地域は破壊的な打撃を受けた。最初は小さな破片だったがそのうち巨大な破片が大西洋に落下して90メートル級の巨大な津波が起こった。このカタストロフィが起きることを予測したアトランティスの人々は自分たちの文明と知識を残すべく中南米、アフリカ、そしてヨーロッパの一部に逃げ延びた。彼らのテクノロジー、建築の知識は古代エジプトに受け継がれていった。

バシャール

さて、ここからやっとクレタ島につながってくる。

このアトランティス文明の技術が地中海に入ってきて、最も近い様式と見られるのがギリシャ建築ではなく、ミノア建築と呼ばれるもの、特にクレタ島のクノッソス宮殿だ。迷宮神殿として知られるこの神殿には古代アトランティスの植民地があり、アトランティス人は雄牛崇拝者であったため、クノッソスにもミノタウロスの伝説が残っている。クノッソス宮殿の建築を見ると、そこにある柱や構造物が、ギリシャ地域で見られるものではないことがわかる。柱が赤と黒で石が白であるというのがアトランティスの装飾スタイル。 クノッソス宮殿に存在する迷宮の残された痕跡をたどると、それが実際にはアトランティス文化から来たイニシエーションのラビリンスであったことがわかる。地面が掘られて石が並んでおり、角ごとに岩に埋められた大きなクリスタルがあって、それらのクリスタルの場所で瞑想してクリスタルと共鳴することができた。儀式としてラビリンスを瞑想して通り、古代アトランティス時代からの情報、宇宙の新しいイニシエーションを新たに理解するために心を開くことができるようになった。

バシャール

以上が非常に面白いと思った内容だ。クノッソス遺跡でのガイドさんの話によると「ラビリンス」とはクノッソス宮殿で宗教儀式につかわれた両刃の斧(labrys)が語源だというので、実際ラビリンス(迷路、迷宮)があったとは思っていなかった。でもここで、高度な古代アトランティスの情報にアクセスする、クリスタルを使った瞑想をするというのはすごく面白い。今でもクリスタルを使って高次元の意識にアクセスするような瞑想をやっている人達はいる。
アトランティスにも雄牛信仰があったというのは、古代エジプトもそうだし、なんか納得してしまう。

クノッソス遺跡の壁画レプリカ
クノッソス遺跡
クノッソス遺跡
こんな所が瞑想できる迷路だったのかも
クノッソス遺跡
クノッソス遺跡

こんな情報があることを頭の隅に置いてこの場所を訪れてみると、さらに興奮するのでは?


いいなと思ったら応援しよう!