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「マー姉ちゃん」と山脇高女

昨秋から始まった朝ドラの再放送(NHK BS プレミアム)を見ている。
それは「マー姉ちゃん」。
長谷川町子さん(1920-1992)の自叙伝『サザエさんうちあけ話』のドラマ化で、戦前・戦中の九州と東京、さらに日暮里と桜新町、福岡と大分を行き交う、実話ながら波瀾万丈のストーリー。
あのサザエさん一家を彷彿とさせる「磯野家」と、底抜けに明るく芸達者な登場人物から目が離せなくなる。

1979年のドラマ。脚本は、「3年B組金八先生」で知られる小山内美江子さん。長谷川町子さんにあたる「マチ子さん」役は田中裕子さんで、主役は熊谷真実さん演じる「マー姉ちゃん」。
43年前の当時は小学生だった(笑)。懐かしい上に、朝からポジティブになれるドラマ。大人になってから女子教育の歴史を調べる機会があり、「マチ子さん」が通った学校が気になり、再放送を心待ちにしていた。

1.おしゃれな校服の誕生

福岡から上京したマチ子さんは、昭和初期の「山際」女学校に通い始める。
これは山脇高等女学校で、現在の山脇学園(東京都港区)の前身にあたる。明治末期に制度化された高等女学校のさきがけの一つで、ドイツ法に通じた創立者・山脇玄の功績もあり赤坂御用邸近くに校地を得て、初代校長となった山崎房子が辣腕をふるった。全国から生徒が集まり、昭和初期には東洋一と称された新校舎も建てられた。

山脇は大正期に、日本初とされるワンピース型の校服を導入した。女性の和装が多かった時代に、制服は「女学生」のシンボルであった。特に山脇高女は、少女雑誌や、ハイソな保護者が購読する雑誌で紹介される「お嬢様学校」の一つで、校服には憧れの眼差しが注がれたと思う。
ドラマの中では、転校生のマチ子が「山際」に馴染めないと落ち込む。華族がいて、みんなお上品すぎる、「何々あそばせ」と話している、「あなた「しぇ」っておっしゃるの」と福岡弁を笑われる、と打ち明ける。そんなマチ子に、「華族なんかに驚くな。福岡は「馬賊」じゃ!」などとマー姉ちゃんが豪快に言い放つ場面もある。しかしたしかに、そのような校風だったのだろう。

ワンピース型の校服は、導入当時は意欲作だったようだ。山脇房子が、近代的な女子教育の持論の体現として、同時に学校運営の観点から、保護者の経済的な負担軽減を目的として、被服専門の教員と創作した服装である。
なお「改良服」とは、欧米の服装をコピーした洋装ではなく、和裁の技術や美的感覚を生かし、大正期の活動的な女性に合うよう「改良」された服である。当時は教師も実験台?となり、生徒より少し長いスカート丈の教員用の校服が作られ、神妙な顔で校服を着た房子が記念写真に収まっている。

2.校服は「お嬢様」のステータスに

大正期の女学校には全国から生徒が集まり、多くは寮があった。山脇では、従来どおりの自由な和装とすると、春用、冬用の上着や下着などで、一学期で80円ほどかかってしまう。しかし、ワンピース型の校服は、出入りの業者(三越!)のオーダーで仕立代がかかるものの、しめて80円で、一年をとおして着ていられる。
同時期の雑誌には、校服はお金がかかるから止めてほしい、という読者の声が紹介されていた。お金をかけない和装なら、校服は高価である。しかし、山脇の「お嬢様」の和装は、簡素な縮緬や絣ではないため、校服は経済的なのである。おそらく生徒同士のおしゃれバトル?がエスカレートする問題もあったのだろう。

そうした合理性はさておき、深紅のハート型の校章をつけた白襟の校服は清楚でかわいらしく、当時から人気だったのがよく分かる。これを着たまま、体操の授業や休み時間の卓球もしていたらしい!
ドラマのマチ子は学校生活は苦手なようだが、三つ編みをしてよく校服を着ている。共布のベルトは、ドラマでは金色のバックルがついている。これは東京女子高等師範学校の制服風に見える(現在のお茶の水女子大学の附属中学校のセーラー服は、伝統的な金色のバックル付きの栗色のベルトで締める)。

3.専攻科から短大へ、そして原点の「女学校」へ

次第に高等女学校が普及し、高等教育や専門教育のニーズが高まる中で、山脇高女にも卒業後もさらに学ぶための専攻科が設置された。それは戦後に、山脇学園短期大学となる。戦前の高等女学校やその専攻科、また女子の専門学校が短大、また四大に変わっていった。

1970、80年代は全国的な短大の全盛期で、赤坂にあった山脇学園短期大学は「赤短」と呼ばれ(青山学院の短大は「青短」)、入試の難易度や就職率、またファッション誌での登場頻度はかなり高かった。教職課程も、短大や女子大によくある幼稚園の先生ではなく、中学校の外国語科(英語)と家庭科の先生の養成だったし、当時はスチュワーデスと呼ばれた客室乗務員を目指すための特別な養成プログラムもあった。

華やかな短大人気も次第に陰りがでて、早々と短大は閉学してしまったが、かつての女学校と同年代の生徒が通う中高は着実な歩みを続けている。さすがに三つ編みの伝統はなくなり、ブレザーの制服が主流となったが、学校行事の際は、あのワンピース型の制服が選ばれていると聞く。

4.お嬢様ならではのチャレンジャー精神

「磯野家」は、都市の中流階級の姿でもある。「マー姉ちゃん」のモデルの毬子さん(1917-2012)も、当時の福岡高等女学校に通った「お嬢様」である。それは否定的な意味での箱入り娘や良妻賢母ではなく、進取の気性に富むことが良しとされる、ということである。
ドラマのマー姉ちゃんは、在学中から洋画家を目指し、裸婦画を描いて新聞社の展覧会で入賞し、上京後は(フランキー堺が演じる)菊池寛の挿絵を描いている。ウィキペディアによると、上京後に通った画塾は藤島武二の川端画塾だったそうだ。

ドラマのマチ子さんも、在学中に(愛川欽也演じる)田河水泡に弟子入りし、少年雑誌での漫画家デビューの快挙を果たしていて、ウィキペディアを見ると、それも実話のようである。
当時は結婚等のお家の事情での休学、退学はよくあることで、世俗的な漫画を描くことを理由に放校される処分もあり得ただろう。生活面に至る厳格な教育で知られる山脇であるが、むしろ開明的な山脇だからこそ、漫画家デビューが許されたのかも、と思う。

まさに山脇房子こそ進取の気性に富む教育者であり、実業家であった。校服だけでもその姿勢が凝縮されているが、毎年、自らも正装のドレスを着こなして西洋料理のテーブルマナー教室を開き、お辞儀の角度や寮の西洋風の窓の開け方まで細かにルールを作り出し、徹底させた。
実践の下田歌子をはじめ、当時の一流の教育者同士の親交も厚く、吉岡弥生や嘉悦孝子などのお仲間で化粧品ブランド「リリス化粧品」を立ち上げ、丸ビルに出店もした。「お大名の商い」だったようだが、雑誌に載った記念写真を見ると、多くの仲間に囲まれた房子は幸せそうである。

5.再放送に感謝 & 山脇高女のドラマ化に期待

朝日新聞の土曜特集「be」の連載「サザエさんをさがして」で、満を持して「マー姉ちゃん」が紹介されていた。
放送当時の平均視聴率は42.8%、最高視聴率は49.2%だったとか! もっとも当時は紅白歌合戦の視聴率が7割を超える時代だが、「マー姉ちゃん」は朝ドラの中でも人気があったようだ。もしかしたら私のように、よき時代の女学校を追想する視聴者も少なくないのではないだろうか。

若き日の山脇房子自身がヒロインとなる朝ドラも期待したいが、女子教育に果たした功績の大きさや、まさに波瀾万丈のライフストーリーのスケール感から、大河ドラマの方がふさわしいように思う。新春の長編ドラマや映画でもよいので、下田歌子や山脇房子、鳩山春子などの女学校を舞台に、華麗なドラマを作っていただきたいと思う。

2022年1月現在、再放送の「マー姉ちゃん」は終戦後の厳しい時代に入るが、皆、相変わらず底抜けに明るい。目をきらきらさせて畑作を始めたり、アメリカ人のお土産用の絵を描いたりとチャレンジを繰り返す。
一方で、博愛精神に満ちたクリスチャンの母親(藤田弓子)の影響で困った人をほっておかない、療養中の末妹を守り抜く、といった芯となる信条は揺るがない。

家族と出会った人々を大切にしつつ、いつも好奇心旺盛でクリエイティブ。時代の変化に柔軟に対応できる生活力を身につけ、さらにその力が生涯にわたり強靱になっていくさまは、女子教育の目指すものだと思う。
既にドラマの登場人物や時代にとって女学校ははるか昔となったが、最後まで楽しく見届けたい。

参考文献
岩本美帆「[サザエさんをさがして]マー姉ちゃん:ベール脱いだ長谷川家の姿」朝日新聞be、2022年1月15日
久保内加菜(2009)「女子教育の構成に関する歴史研究(その2):山脇高等女学校と家事専攻科」『山脇学園短期大学紀要』第47号、77-123頁

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