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2011年3月20日に書いたこと:錦松梅のゆるぎなさ

東日本大震災で、最初の大地震から10日ほど経った時に書いたブログ記事を転載します。
ライフラインが停止したままの仙台に赴任中の家族がなんとか神奈川に戻り、ふたたび仙台に帰っていく時に、ご近所へのお見舞いに何がいい?と聞いたら「錦松梅」と即答。白いご飯が炊けるので、ふりかけがほしいそうです。間違いなくおいしいふりかけがよいとのことで・・・このnoteのトップ画像は錦松梅のWebサイトから拝借しました。やっぱりおいしいですよね!
デパートで、捨てやすいように包装が簡素なものを用意しました。家族が宮城と岩手に持っていきます、と話すと、錦松梅コーナーとその近くにいた店員さんが前に出てきて、一斉にお辞儀をしてくださいました。小分けしてもらったたくさんの紙袋を持ったまま私もお辞儀して、気が引き締まったのを覚えています。

2011年3月20日に書いたブログ記事

おかげさまで仙台の夫が戻ってきた。バスで山形に入り一泊(駅前ビジネスホテルであるが、朝はお握りとお味噌汁が振る舞われた)。新潟まで抜けて新幹線で東京へ、と考えていたところ、JAL便のキャンセルが出て羽田へ。山形空港は市内から意外に遠く、タクシーだと7千円かかってしまうようだが、空港直通バスがお薦め、とのことだ。
 夫も大学勤務で、入試などの緊急の学務と、学生やお世話になっている先生方などに連絡をとるのがとにかくたいへんだったようだ。学生からは、奨学金の申請や、交通機関が復旧しないので通学できないなどのせっぱ詰まった問い合わせも。
 とにかく寒かったようだ。やっと電気が一部復旧したものの、水道、ガス、電話はまだ。余震が「震度5」という状況は落ち着いたようだが・・・・・。写真を見せてもらったが、研究室は本が落ちて地層のようだ。地震前より「層が厚くなった」と冗談で話していたが。内側に開けるタイプのドアが開かなくなってしまった先生も!
 困るのが食事。ほとんどお菓子で過ごしていたようだ。大学生協が食事の提供や販売を続けているが、物資不足で営業が難しくなっている。職員宿舎では各自のお米や根菜などを供出して譲り合ったり、共同で炊き出しが出来るようにしたが、何しろ水道が使えないし寒いしで、結局「お菓子」に・・・・・。
 さらに困るのが寮生。帰宅困難の学生や留学生、入試会場の下見に訪れて帰れなくなった受験生なども一緒に、教職員で野外炊き出しをやったようだ。アルファ米を使った飯ごう炊さんだ。「ご飯だけ」であるが、初めて成功した時には歓声が上がったそうだ。備蓄の乾パンなどはあるが、「あたたかいもの」は格別のようだ。
 出張のための一時帰宅であったが、少し充電できたようだ。もちろん電車の本数が減ったり閉館の施設もあったりだが、「都内は何にも変わっていない」としみじみ話していたのが印象的だった。
 で、夫は明日からまた仙台へ。結局同じルートを(ホテルも)使う予定だ。同僚の先生方へのお土産としてフリーズドライ食品や錦松梅、簡易トイレ(溲瓶)を用意することとした(アルファ米やマスクは近所では売り切れ・・・・・)。ご近所の方も仙台の皆さんにと乾電池を持ってきてくださった。
 ソニーの手回し充電式ラジオは役だったようだ。普段から我が家(仙台と二軒分)の定番ラジオで、強くハンドルを回しすぎたり劣化したりで、オレンジと白、シルバーと全色二巡買い換えたほどである。ライトやホイッスルもついており、夫はストラップを手首に通して夜過ごしている。仙台のヨドバシカメラは休業中で、そうしたラジオや懐中電灯、電気ポットなどは手に入りづらいようだが・・・・・。
 電気のありがたさが身にしみる反面、「原発」であらためて都市生活の無策と脆弱さを思い知らされる。
 ママ友達の住宅メーカー勤務のご主人は、山形に仮設住宅を建てるために緊急車両で出発する。山形に建設後は、仙台に移るようだ。山形は雪降っていて寒い、という情報交換などしつつ、互いの家族の無事を祈る。


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