大叔母とのお別れ(ホラー要素強め)
大叔母はお寺の家に嫁いできた。その家に私の家族が訪問する時は、「よそ者」感があったと思う。
子どもの頃の私も疎外感があった。二人の男のきょうだいは母親に溺愛されていた。子どもなりのプライドから、仲のよい家族関係をとりつくろいつつ、私は生来のよそ者であった。
母方の親戚の集まりで、ひととおりのセレモニー(乾杯や歓談など)が進み、こういう席では女の人だけに課される家事一般をこなした後は、従兄弟の隠し部屋のような屋根裏で「ジャンプ」や「ムー」を読むか、仏壇のある部屋にいた。
代々の住職の家なので、部屋は小ぶりながら仏壇は大きかった。さすが「本職」の仏壇で、艶のある細工が施され、太い線香の薄い煙と香りが染みついている。
そこでは大叔母が、般若心経を教えてくれた。物静かな大叔母は、いかにも古刹の家の者を思わせる、すごみのような風格があったが、親戚の集まりは居心地が悪かったのだと思う。なのでありあまる時間があり、大叔母の流れるような声に合わせて、子どもの私はさびの部分?だけ唱えた。経本を手渡してもらえることもあったが、基本はまさにシャドーイングだった。
高齢になった大叔母は、10年近くの入院生活を送った。白づくめの病室で、ときどき呼吸器を着けながら、さらにことば少なく過ごしていた。夫である大叔父も入院したが、それぞれ別の個室だった。
それはお寺の病院で、大叔父は僧侶であり医師でもあったので VIP待遇だったと思うが、病はともかく、死は公平に訪れる。
ある夜、なんとなく目が覚めて、玄関にあった全身が入るほどの大きな鏡の前で、10代の私は立っていた。
しばらくすると鏡の奥に、薄く光を放つ白装束で白髪の女性が、深くおじぎをしているのが見えた。鏡に向かって立つ私より少し後ろに座り、丁寧に頭を下げている。威厳のあった大叔母が、一回りも二回りも小さくなった印象だが、大叔母だと思った。
ふり返ることはなかった。と言うか、時間としては一瞬だったと思う。姿見の前で立ちつくしたまま、夜が過ぎた。
その後、大叔母の訃報を聞いた。はるばる郊外の家のすみっこにいる私のところに、お別れにきてくれたのだと思う。霊が見える・・・みたいな能力はなかったが、その夜のできごとは、不思議と当たり前のように感じられた。
お寺の病院には、大叔母が亡くなるよりだいぶ前に、肺炎をこじらせて入院したことがある。長くいる高齢の患者さんばかりの4人部屋で、小学校に入ったばかりだった私はかわいがってもらった。そこでは当たり前のように、病院にいる幽霊の話をしていた。壁からいろんな人が出入りしている・・・。
どちらかと言うと当時の私は、茶褐色のテカった虫Gが壁をはい上り、同室のおばあさま方がスリッパなどで手当たり次第に叩くので、やおら羽根を伸ばして飛び回り(羽根を広げたり飛んだりするのを初めて知った)、下手をするとこちらのベッドの方へ飛んでくるのが、声が出なくなるほど怖かった。深夜の病室に不審者が入り、寝入ったおばあさんのお札を入れた腹巻きに手を伸ばしたところで他のおばあさま方が大声で騒ぎ、黒い不審者が逃げ出した事件があったが、それよりも虫Gは怖かった。そう言えば、ナースコールのような装置はあったのだろうか・・・こうした古い病院では、あの世との行き交いは実は身近で、よくある風景かもしれない。
それにだんだん時が経ち、歳を取ると、生死の境や、見えているものの輪郭がおぼろげになってくる。超常現象でもなんでも、ぼやっとした塊に見える。ま、いいか、という感じで、シビアなできごとさえ、日常の延長やユーモアとして受け止められるようになってくる←今ここ。
いまだにさびの部分だけだが、般若心経が唱えられるのはありがたく思う。お経の意味が分かるようになるのは、いつか大叔母と極楽浄土で出会う時かもしれない。