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高知へのノスタルジアと戦慄(ちょっとホラー)
*トップの画像は浅草寺です。お寺のイメージということで?!
私のルーツは高知にある。両親はそれぞれ広島と長崎の出身で高知に住み、祖母は大阪から嫁いできた。その後、父の仕事の都合で東京の郊外に移り、高知の家はもう跡形もない。
高知は心の故郷であるが、その一方で、ちょっと怖い所、と思っている。ムーに出てきそうな?思い出もある。
生前に会えなかった祖父は材木商で、大きな日本家屋に住んでいた。羽振りがよかった時は、電車を貸し切って芸者さんや料理人を招き、大宴会をしていたそうだ。
高知の偉人の吉田茂からの、お宅を買い取りたい、という申し出を断った、という話も聞いた。かの宰相の達筆な書状は額装して置いてあったが、父が亡くなり、蔵書を古本屋が買い取りに来た時、ただ同然で持っていったらしい。もちろん高尚な内容ではないが、大磯邸も焼失しているし、高知の博物館に寄贈してほしかった・・・と今さらながらに思ったりする。
とにかく立派な家屋だった。
その家で、子ども時代の夏休みは家族で過ごした。大きな山を背景に、どこまでも続く縁側と、ふすまを開け放すと大広間となる和室、迷路のような部屋と廊下、そして大きな仏壇と神棚があった。
日本庭園もあったが、南国の高知なので!木材の香りや作りなどがすべてワイルドで、庭の池はナマズのような鯉がうようよ泳ぎ、濡れた岩場で割り箸の先にたこ糸でたくわんを結んでカニ釣りをしたのも覚えている。
私自身が幼かったこともあるが、クモやカマドウマなどの虫のサイズも大きく(汗)、庭の道を大きな蛇がゆっくりはっていたこともある。
毎年の台風はすさまじかった。高台なので浸水することはなかったが、暴風雨がすごくて帰れない年もあった。
そんな荒々しい土地だった。
そのような土地柄である上、江戸時代は下級武士で、流された罪人の死を見届ける役職だったと聞かされていた。
船の上で切腹を見届けたり、首を切ったりする。罪人の首がかみついた櫂が残っている(実際に櫂があった)、夜に笛を吹くと落ち武者の霊を刺激する、という話も聞いた。
そういう話って他の地方でも聞くような・・・もしかしたらよくある都市伝説(都市ではなく高知ですが!)かもしれない。
そうした昔話より、祖母にまつわるエピソードの方がオカルティックだと思う。
私の父と母が東京に移った後、しばらく祖母は、広大な屋敷に一人で住んでいた。時は流れ、祖母は我が家で同居することになった。つまり、高知の家をたたむことを決めた。
高知の家では代々、「ふく」という名の犬がいた。外で飼っていて、丈夫そうで賢い和犬だった。
その何代目かの「ふく」をどうするか、が大きな課題となった。当時、私の両親は団地のような職員宿舎に住んでいたため、動物は飼えない。子犬ならともかく、大きな「ふく」は、親戚や近所の人に預かってもらうことは難しかった。
そうこうするうちに・・・「ふく」はみまかった。家の前で車にはねられ、即死だったそうだ。
忠犬の「ふく」は、祖母の悩みを感じて、自ら車に飛び込んだのかもしれない。
小さな宿舎から戸建ての家に移ったものの、高知時代より何倍も小さくなった仏壇と神棚は、祖母が毎日お供えをして、きれいにしていた。昔は女学校で教師をしていて、はつらつとして聡明な祖母もやがて老いて、救急車で運ばれたこともあった。
すると祖母が、伏見稲荷に行きたいと言い出した。自分のことはいつも後回しだった祖母が、はっきりと希望を言うことは珍しかった。当時は学生で時間があった、というか、そんな祖母についていきたいと思った私は、一緒に京都に行った。
真夏の京都は暑く、参道のお茶屋さんで涼んだりしながら、なんとかお参りできた。
祖母は、どのように手続きをしたのかは分からないが、おいなりさん(狐)の置物2体とともに、自宅から持ってきた神具一式を納めた。とにかく神棚にあったものは「伏見稲荷に戻した」そうだ。
実は祖母は、神棚にあったおいなりさんを袋に詰めて、お世話を止めていたところ、身体の具合が悪くなったらしい。
悪夢も見るようになった。
自宅は狭く、仏壇の上に神棚があったため、高齢の祖母は上り下りに苦労するようになり、やむを得ずおいなりさんを片付けた。
悪夢がどのような内容かは、教えてもらえなかった。それほど怖い夢と、めまいや不整脈などの不調にさいなまれたようだ。
高知のおいなりさんは、力が強い、ということは聞かされていた。伏見稲荷のような総本山でないと、その力を収めきれないのかもしれなかった。
祖母が亡くなり、高知の親戚もほとんどいなくなった後、高知市に調査で行くことになり、ノスタルジックな気持ちでいっぱいで訪れたことがある。
昔の家と先祖の墓は出張先の近くで、牧野富太郎記念館のある五台山にあった。その時の牧野富太郎記念館は改築前で古く、薄暗い施設だった。
仕事帰りの夕暮れ時に、五台山にあるお寺に寄ってみた。さすがにお墓は遠く、暗そうだったのでお参りはしないで、境内の木立を散策した。すると・・・わら人形を見つけてしまった。
胸のところに貼った白い布きれに名前が書いてあり、釘が打ってある。その釘の刺さったところに赤色の染みが付けてあって・・・。
細身だが、新生児くらいの高さのある人形だった。テレビドラマに出てくるのはもっと小さいのに、さすが何でも大きい高知・・・。
とにかく何も見なかったように、逃げるように帰った。
そのような訳で私にとって高知は、懐かしくも怖くもある。自然と人、さらにもしかしたら歴史や風土の縁の強さを感じる土地である。
今夏に高知で研究発表の機会があり、実際に行くか、オンラインにするか迷っている。
実はわら人形事件?以来、高知には行っていない。
このさい思い切って現地に行ってみたいと思う。高知の風土を受け止めながら地域の施設のあり方について語りたい、という野望?と、土着の神さまや精霊に出会ってしまうかも!という年甲斐もない恐れでないまぜになっている。
単に、申込書類の作成に手間がかかることを高知のせいにしているかもしれない。ともかく、書類づくりを進めたいと思います!