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80越えの、悲しくて美しいエッセイ

朝日新聞の読者投稿欄「声」。なぜかふと、目にとまり・・・すごく悲しくて、盛っているところがないのに美しい言葉で書かれた投稿を何度も読んだ。久しぶりに切り抜いた。それから三ヶ月近くたつのに、初めて読んだ時の、80年の重みがあるのにピュアで透き通った美しさは消えていなかった。
このnoteのトップの画像は朝日新聞デジタルのスクラップ。昭和世代の私にはやはり縦書きの活字で、新聞の柔らかなグレーの色調が読みやすいですが!投稿の文字(テキスト)を拾ってみました。その惹きつけられる美しさは何だろうか。

投稿「(声)傘寿越え友の旅立ち悲しい日々」を読む

実際の投稿記事は次のとおり。300字くらいの短いエッセイです。

(声)傘寿越え友の旅立ち悲しい日々
 無職 河野洋子(山口県 81)
 80歳を過ぎてしまった。夫はホームに入り、別棟に住む娘は日中は仕事で不在。県内に住む子どもたちも忙しく、孫もひ孫も保育園に行ったり、学校に行ったりで、なかなか会えない。
 一緒においしい物を食べたり、山登りをしたり、長電話をしたり。そんな友だちも亡くなった。花を見て、「美しいね、楽しいねえ、来てよかった」という言葉を交わした。2人で「100歳まで元気で」という約束もしたのに、その言葉はどこに行ったのか。思い出すだけで涙が出てきてしまう。
 19歳でこの街に来て、できた友だち、親しい近所の人々はみんなお空に行った。いつも空を見上げて10人くらいの名前を呼んでいるよ。もうあんな友だちはできないよ。
 私は草刈りしたり野菜をつくったりしているが、それでもいつもひま。昔だったら毎日にぎやかに集まっていたのに、と悲しい日々です。

2024年7月12日 朝日新聞デジタル

 友だちや親しい人が「みんなお空に行った。」というくだり、「いつも空を見上げて10人くらいの名前を呼んでいるよ。もうあんな友だちはできないよ。」と結ばれる。淡々とつづっていたのに、突如、空を見上げ、親しく言葉を交わしたり、助け合ったり、近所で暮らすことが当たり前だったのにもう永遠に会えない人たちに向かって絞り出すような言葉となる。長い年月に蓄積された関わりの濃密さに、通りすがりの読者の薄っぺらな感傷の入るすきまはない。
 そして、亡くなった親友とのエピソード。この投稿はこの友人の死を機に書かれたものかもしれない。一緒においしい物を食べて、山登りをして、長電話をして、花を見て。いつもその都度、感じるままに「美しいね、楽しいねえ、来てよかったね!」と言葉を交わして。永遠に一緒に笑い合い、手を取り合って過ごすことが当たり前に思えて、「100歳まで元気でいようね」と約束して。「その言葉はどこへ行ったのか。」というフレーズはどこに向けられているのか。空にいる亡き友か、自分への述懐か。すべてそぎ落とされた、沈黙に近い、諦観したつぶやきに聞こえる。

DeepL で英訳してみる

ところどころ心の声がそのまま入り交じったような、ストレートに響く文章の美しさはどこにあるのか。DeepLで英訳してみました。

(Voice) The sad days of a friend's departure after turning 80
Unemployed, Yoko Kono (81, Yamaguchi Prefecture)
12 July 2024 Asahi Shimbun Digital
*一段落目は省略 (omission of first paragraph)

 We ate delicious food together, went mountain climbing and had long phone calls. My friend passed away. We looked at the flowers and said, "It's beautiful, it's fun, I'm glad I came". We even made a promise to each other to stay healthy until we were 100 year old, but where did those words go? Just remembering them brings tears to my eyes.
 I came to this city when I was 19, and all the friends I made, all my close neighbours, have gone to the sky. I always look up at the sky and call out about ten names. I can't make friends like that anymore.
 I cut grass and grow vegetables, but I'm still always free. I am sad every day, because in the past, we would have lively gatherings every day.

「(声)傘寿越え友の旅立ち悲しい日々」(2024年7月12日 朝日新聞デジタル)を DeepL で英訳

「みんなお空に行った。」というフレーズは(彼らは) "have gone to the sky"となっている。そして、私はいつも "look up at the sky and call out the names" をする。私である ”I” (アイ)が何度も繰り返される翻訳は、AIってすごいと思う。”I” (アイ)を文章から消さないで、そこにいる普通の人が、普段通りに話している語感を出しているように思う。
  実はもともとのエッセイの一段落目の翻訳は、最初は "She" が主語となっていた。筆者や家族の状況の描写は、DeepL に人ごとのように認識されてしまったようだ。少し言葉を補うと ”I” (アイ)が主語として翻訳されたが、やはり二段落目以降は「私」以外では語れない言葉となっている。
 二段落目の親友とのエピソードの「そんな友だちも亡くなった。」というフレーズは、DeepL翻訳時に「も」を「が」に置き換えた。「も」のままだと、「そういったフレンズが」みたいな、複数人を思わせる英語になったため、「が」に直すと一人だけの「フレンド」という訳語に落ち着いた。美しいね、楽しいね、と息のままに話し、100歳まで一緒にね、と約束した、ただ一人のお友だち。その友人が空に逝ってしまったのだ。その喪失感と日頃の風景の空しさは、"My friend passed away." という短いフレーズで刺すように伝わってくる。

80歳を越えた時の空の色は・・・

エッセイのタイトルに「傘寿」とある。最近はアラフィーやアラ還みたいに、「アラエイ」と言うそうですが、80歳を越える頃、どのような風景が見えるのだろうか。
このエッセイを最初に DeepL で翻訳した時、「私は草刈りしたり野菜をつくったりしているが、それでもいつもひま。」というフレーズの最後の「ひま」というところが、なぜか "I'm always busy" と出てきた。もしかしたら、草取りや野菜栽培に汲々として、あまり複雑な言葉遣いをしない人なので「暇無し」だろう、みたいな思い込みというか、暗黙のうちの偏見があったなら恐ろしいと思う。もう一度試すと "free" になったので、DeepL に他意はなく、凡ミスだったと信じたい。
この「ひま」であるひとりの時間が、投稿された河野さんにとって穏やかな時間であってほしい。少なくとも絶望しないでほしい。甘美な思い出と、空にいるかけがえのない人との対話が豊かでありますように。美しいと思って空をながめられますように。それは誰にとっても、数十年後の私にも、そうであってほしいと願わずにいられない。
80歳を越えた母が、料理研究家の村上祥子さんや、90歳近くとなられた!美容研究家の小林照子さんが紹介されたEテレを見たそうで、自分は何もできなかったと涙ぐんでいて、返す言葉がなかったことがある。勝ち気で記憶も明晰な母は、かなり前の放送なのに、数ヶ月たっても覚えているどころか、さらに焦燥感やコンプレックスを募らせたようだ。思いつきでミック・ジャガーのライブ映像を見せて(それ誰?という話からしました)、80歳超えってまだまだかも、という話をした、というかあまりにも全然変わらず艶っぽくパワフルに動き回っていて、笑ってしまいました!

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