【ロシア1994年-1995年】さらばモスクワのトロリーバス «Прощай, московские троллейбусы!» Vol.1:トロリーバスという乗り物について
【はじめに】
筆者は1994年8月から翌年8月まで、モスクワ市内で大学の語学研修生として暮らしていました。
このときに写していた写真にシリーズ全体でタイトルをつけるとしたら、«монолог(ひとりごと)»という感じ。これからは数回にわけてモスクワのトロリーバスについて書いていきます。こちらは「さらばモスクワのトロリーバス」というところ。これは五木寛之のデビュー作『さらばモスクワ愚連隊』のまねです。いや、椎名誠『さらば国分寺書店のオババ』かな。
ただし、五木寛之の小説のタイトルはロシア語では«До свидания, московские стиляги!»とありましたが、私のこの写真の場合はむしろ«Прощай, московские троллейбусы!»です。二度と出会えない別れのあいさつですから。
これらの写真は過去にもいろいろなところでお目にかけたことがありますが、ネット上での公開を基本的にはやめておりました。あらためてnoteにて少しづつご覧に入れたいと思います。
■世界最大のトロリーバス路線網があった
トロリーバスという乗り物は日本語では無軌条電車といい、「レールを持たない電車」といういいかたをします。じっさいに、路面電車と路線バスの中間とでもいう乗りものです。バスの車体を持ち、架線(架空電車線、トロリー線)から取った電力を動力として、ゴムタイヤで自動車道を走ります。
2022年8月現在、日本国内には一路線しかありません。みなさんも自動車運転免許を取得する際に習ったはず。黒部ダムに行く関電トンネルトロリーバスは2018年に電気バスに置き換えられたそうで、立山黒部貫光無軌条電車線(立山トンネルトロリーバス)のみが残されています。トンネル内を走るのに排気ガスを出さないことを目的として、開通当初はディーゼル車であったものが、1996年にトロリーバス化されました。
それ以前の1950年代から60年代には、東京をはじめ日本の大都市にもトロリーバス路線網が存在したそうです。トロリーバスの利点は大出力の電動機を使用できるために勾配線区でも使用しやすいこと。ところが、大出力の内燃機関の開発が進むと、道路上をのろのろと走るトロリーバスは渋滞の原因になること、架線やき電線などの送電を行う施設、変電所などの大規模な設備を必要とすることなどから、ディーゼル車に置き換えられていきました。
かつてのソビエトでは大都市にトロリーバス網が設けられていました。ソビエトが都市開発を支援した中央ヨーロッパでかつて社会主義政権だった国々、中国の大都市や北朝鮮の平壌にも存在します。ソビエト連邦崩壊後に旧ソビエト加盟国のあちこちで、引き続き運営されているところが数多くあります。
そのうち、モスクワ市内には1933年に開通して以来、2020年まで世界でも有数のトロリーバス網が設けられていました。21世紀に入っても、2011年時点で約1,300 kmの電化区間があり、101系統の営業路線、1,700両以上の車両がある世界最大の路線網でした。ロシア・ビヨンドの記事も参考になるでしょうか。
ところが、2020年8月をもってディーゼルバスや電気バスに置き換えられ、トロリーバスの路線としては廃止されてしまいました。動態保存として地下鉄コムソモーリスカヤ〜エローホフスカヤ広場〜ノヴォリャザンスカヤ通りを通るT系統«музейный маршрут(博物館系統)»の一路線のみが残されているようです。ヤロスラブリ駅の周囲をぐるりと環状する路線みたいです。
廃止の経緯については明らかにされていないようですが、道路の渋滞緩和が理由に挙げられたようです。廃止について報じられていたニュースを見たはずですが、記憶にありません。2001年2月に訪問して以来、ロシアを訪問できていない私は、はずかしながらそのことはつい先日まで知りませんでした。
■のそのそと走るトロリーバスに乗って方角を覚えた
トロリーバスは私にはものめずらしさを感じさせる公共交通機関です。架線(トロリー線)からトロリーポールと呼ばれる棒状の集電装置を使って電力を取り入れて走りますが、速度を出すと集電装置が架線から外れてしまうために、あまり速度は出せません。床下からは電動機がうなる音が聞こえます。のそのそと走る感じ。それでも、トロリーバスは基本的に大きな幹線道路を走るために、周囲が開けていて眺望がいいところが多い。車窓を眺めていても楽しくなります。
1994年から1995年にかけてのモスクワ市内の公共交通機関は、地下鉄と路線バス、トロリーバスと路面電車が担っていました。いまはさらに貨物線を利用した中央環状線、ライトメトロ、モノレールが加わりました。郊外から都心にかけて放射状に地下鉄が結び、地下鉄の駅から枝線状に路線バスやトロリーバスが走るというのが基本ですが、都心部から放射状に走る路線バスとトロリーバスもありました。路面電車はさすがに都心部では路線を減らしていて、いくつかの路線が残るのみです。
都心と郊外を結ぶ公共交通機関として、地下鉄がもっとも便利であることは異論がありません。地下鉄に乗ることも好きでした。ただし、地下鉄はわずかな地上走行区間をのぞいて外の景色を見ることができません。そこで、モスクワでの暮らしになれたころに、時間のあるときに都心への往復にはトロリーバスを使うようにしました。そのほうが、市内の地理が理解できる楽しさがありました。
気に入っていたトロリーバスの路線は、地下鉄環状線とソコーリニチェスカヤ線乗換駅である「パルク・クリトゥルィ(文化公園:ゴーリキー公園のこと)」からモスクワ川のルージニキ地下鉄橋を渡って「ウニヴェルシチェート(大学:モスクワ大学のこと)」を経由して走る28系統と、モスクワ川沿いにコスイギン通りを走り、モスフィルム前を通ってキエフ方面駅を通る7系統。レーニン大通りを走り、ガガーリン像前を通り、映画館「ウダルニク」まで結ぶいくつもの路線、そして地下鉄ポレジャエフスカヤ駅から銀の森へ行く21系統。都心のマネージュ広場、ボリショイ劇場前、ルビヤンカ、キタイゴロドを走る路線も観光バスに乗っているようで好きでした。
■「スミマセーン、回数券クダサーイ」
どこへ出かけても公共交通機関を利用することは、その土地のひとたちの暮らしをかいま見ることができる点で楽しいものです。海外であれば、同時に外国語学習に役だちます。教室で講師に教わる外国語は外国人学習者のためのものですが、公共交通機関で耳にし目にする外国語は外国人向けではない遠慮のない「生きた外国語」ですからね。
モスクワの公共交通機関を利用していて興味深かったのは、外国人相手にでも道を尋ねるとか、時間を尋ねるひとが少なくなかったこと。私は見るからに外国人であったはずですが、停留所でバスを待っていると「ねえ、いま何時」「タバコくれない」「ライター貸して」とねだられることはめずらしくなく、車内でも「次のバス停は『ドーム・トカーニ(「絨毯の家」という店の前)』だっけ」などとわりと気さくに尋ねられます。私がフランスパンのバゲットを持っていると「兄ちゃん、そのパンどこで買ったの」と聞かれたことも多数ありました。「あそこのパン屋もなかなかいいんだぞ」と教えてくれたひとも。
また「次(の停留所)は地下鉄(の駅前)ですか」とバス車内でとなりの女性に尋ねたところ、周囲の女性の乗客……正確には何かとおせっかい焼きで有名なロシアのおばあちゃんたち同士で「そうよ」「ちがうわよ、その次のほうが便利よ」などと軽い論争になってしまい、たいへん申し訳なく感じたことも。「私も降りるから教えてあげる」という方も現れたり。おばあちゃんたちにはなにかと世話になりました。
『巨匠とマルガリータ』には「見知らぬ者たちとは口をきかぬこと*」と書いてあったけどなあ。それはもちろん冗談です。でも、孤独になりがちな外国人居住者にはこういうところがおもしろかったのは確かです。
公共交通機関を利用するさいに覚えておくべき表現があります。それは«Сейчас выходите?(これから降りますか)»と«Разрешите пройти!(すみません、通してください)»。
前者は降車口に近いひとに尋ねて、「もし次で降りないならば場所を代わってくれませんか」という意味。はじめてそう尋ねられたときには«сейчас(いま、これから)»という単語しか聞き取れず、«час(時間)»を尋ねられているのかと勘違いをしてしまいました。
また、後者はひとをかきわけて進む際にいう「すみません」のこと。なにかの許可を求める言い方で«Разрешите!»だけで通じます。公共交通の車内でなくても、ひとのそばを通るときに「道を開けて」という意味で使います。これをいわないのは日本でもあまり礼儀正しくはないですよね。
ただ、前者の「もし次で降りないならば場所を代わってくれませんか」という意味の言い回しは、日本語の世界だとあまり使いませんよね。日本国内でためしに使ってみると「おや」「なんだこいつ」という顔をされることがあります。
私がロシア語を学校の講師以外の相手にはじめて使ったのは、モスクワに到着して大学寮から市内にはじめて出かけたときのこと。トロリーバスの運転室の仕切り窓をノックして運転士相手に発した«Простите. Дайте, пожалуйста талончики!(スミマセーン、回数券クダサーイ)»というフレーズが記念すべき「最初のロシア語構文」でした。
いまでもそれを覚えているのは、その運転士氏がどういうわけか振り向いて、私にたいしてにっこりと感じよく笑って、10枚つづりの回数券の冊子を売ってくれたから。両袖のところにロシア国旗の三色模様のある、アディダスのナイロンジャケットを着たいかにも90年代の若い男性でした。「ガイジンが頑張ってロシア語を話しているなあ」というはげましの笑みだったのではないかと思っています。それとも«талоны(回数券)»という単語を口語表現的な指小形語尾をつけて«талончики(回数券ちゃん)»などと、ガイジンがむりをしていることも、おかしかったのでしょうか。
いずれにせよ、彼の笑顔がもとで「ロシア語を話すこと」に怖気づかないで「はじめの一歩」を迎えることができました。ありがたいことです。もっともその後は「おまえのロシア語はさっぱりわからん」と、いろいろなところでいわれることにはなるのですが。これはたんに私の勉強不足ですね。
いまにいたるまで、ロシア人をはじめとするスラヴ人を嫌いになれないのは、嫌な目にあったことが少ないからなのでしょう。そう思うと私もちょろいやつです。だからといって戦争を起こすことには賛成できませんけれど。
【撮影データ】
Nikon New FM2, F, Kiev-35A/AI NIkkor 35mm F2S, MC Kareinar-5 100mm F2.8, KIEV KORSAR 35mm F2.8/SVEMA FOTO 100, Kodak Academy 200
*「見知らぬ者たちとは口をきかぬこと*」:Булгаков, М.А.(1969) Мастер и Маргарита (ブルガーコフ, M. A. 法木綾子(訳)(2000).──巨匠とマルガリータ── 群像社)より。第一章タイトルにこうあります。原文は«Никогда не разговаривайте с неизвестными»
本記事は有料記事にしてありますが、オープン記念として全文を無料で読める設定にしてあります。不肖私めの写真生活や創作活動をサポートしたいともし思ってくださったら、投げ銭などをしていただくのは大歓迎です。ご厚情にたいしてあらかじめ謝意を申し上げます。
ここから先は
¥ 500
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
サポートいただけたらとてもありがたいです。記事内容に役立たせます!