【ロシア1994年-1995年】さらばモスクワのトロリーバス «Прощай, московские троллейбусы!» Vol.2:「モスクワ川岸」停留所と凍った川にかかる橋
本記事は有料記事にしてありますが、オープン記念として全文を無料で読める設定にしてあります。秋山の写真生活や創作活動をサポートしたいともし思ってくださったら、投げ銭などをしていただくのは大歓迎です。ご厚情にたいしてあらかじめ謝意を申し上げます。
■行き先に惹かれてトロリーバスに
緯度の高いモスクワでは、12月になると夕方4時くらいには日没して、あたりは暗くなってしまいます。留学したくせに学校の勉強に飽きてしまった私は、いつも午後から夕方になるとカメラを持って、トロリーバスや路面電車などの公共交通機関を適当に乗り継いで、モスクワの市内をうろうろしていました。
フィールドワークなどとカッコつけるつもりはありません。ただの写真散歩です。少しは暮らしに慣れてきて、町の地理がわかってきたからでもあります。カメラを持ち歩いて写真を撮っていても、民警(内務省人民警察。2011年より警察に改称)にとがめられることや、通行人などに撮影を制止されること、あるいはじろじろとカメラを見られるようなこともないこともわかりましたし。
ある日のこと。町の北西部に「銀の森」という大きな森林公園があることを知り、でかけてみました。住んでいた南西部の大学寮から都心に出て、地下鉄タガーンスコ=クラスノプレースネンスカヤ線に乗り換えて、ポレジャエフスカヤ駅で降りると、21系統のトロリーバスの停留所がありました。そのトロリーバスの行き先に「モスクワ川岸」と書いてあり、なにやら気になります。
モスクワは湖と森に囲まれた町であり、市内を大きく蛇行してモスクワ川が流れています。住んでいた寮からも15分も歩けば、川岸に出ることはできました。雀が丘(旧レーニン丘)といい、スキーのジャンプ台があり、展望台もある、モスクワで結婚式を挙げたカップルがやってくる有名な場所です。
けれど、市内の川の上流のようすはまだ知りませんでした。そして、わざわざ「モスクワ川岸」と名乗るバス停があるというのは、気になります。
私は大学生だった当時から新宿駅西口で「晴海埠頭」という行き先のバスがあることに興味を惹かれると、わざわざ乗って晴海客船ターミナルまで行ってみておもしろがる人間でした。いまも変わりません。だから、終点の名前に惹かれてトロリーバスに乗りたくなるのは必然といえます。必然といっていいですよね。必然といいましょう。必然だといえ。
■道の行き止まりで唐突に終点になった
道中のことはあまりよく覚えてはいません。ごくふつうのソビエトふうの町並みが広がり「ビューティ・サロン」「食餌療法の店」という看板を見たことは覚えています。
途中に「ゾルゲ通り」という名前の停留所があり、案内放送を聞いて「え!」と飛び上がった記憶も。かの有名なリヒャルト・ゾルゲの名前を冠した通りがモスクワにあるとは、思ってもいなかったからです。そのときは気づかなかったのですが、そのバス停そばの公園には銅像も建てられているそうです。
トロリーバスはのろのろと走り、ハラショーフスキー橋でいったんモスクワ川を渡ります。住宅や商店のある地区を抜けると、森のなかにある道路を走っていくようになりました。
ほどなくして着いた終点は、森に囲まれたところでした。どうやら「銀の森」は東京でいうところの葛飾区の水元公園のような、川と木立のある自然公園のようです。328.6ヘクタールの広さがあるそうで、水元公園の4倍近く大きな規模です。
それにしても唐突に終点になるような気がして降りると、森に囲まれた道の行き止まりの手前でした。
トロリーバスは終点で方向転換を行う必要があるために転回場があり、その周囲は木々と木でできた塀があるだけ。塀の向こうには別荘なのか、一軒家がぽつぽつと並んではいますが、お店などは当時はありませんでした。停留所も市内にあるのと同じような、椅子もない囲いのようなそっけないものです。
あたりは森に囲まれていて、目の前には行き止まりの道があるだけ。
少し歩くとすぐに川岸に出ました。川面は凍っています。川には仮設の舟橋がかけられていて、対岸へ渡ることができるようになっていました。対岸には高層集合住宅が立ち並んでいます。
私はこの「唐突な行き止まり」の感じと、仮設の舟橋があるこの場所がものすごく気に入りました。
「この先海」という標識が海沿いに立つ、そういう場所が日本にもありますよね。行き止まりの道の奥に海があり、急に視界が広がるような場所が好きです。目の前で場面の転換が行われるように思えて、非日常的な雰囲気が感じられるような気がするからです。列車に乗っていて、車窓に海や大きな川が見えたときに思わず歓声を上げてしまうような、あの気持ちに似ています。
ややや、こんな場所がモスクワ市内にあるなんて、いいぞいいぞ。すごい場所を見つけてしまった、という思いでどきどきしました。
しかも、ソビエト映画やポーランド映画で見たような高層集合住宅が対岸に見えて、社会主義ふうの景色であるところもなにやらエキゾチックです。当時のモスクワはいまよりもずっとさっぱりしていて社会主義時代の雰囲気を残していましたから、無責任な旅人にはなおのこと好ましく思えました。
社会主義が好きなわけではありません。たんに自分には社会主義時代の無機質な町並みがもの珍しかったというだけです。テレビや映画、本で見ていた風景が眼前に広がっていることの驚きといいますか。
■街灯が灯り始めたら美しくなった
すでに冬の日没近い時間でしたし、氷点下20℃以下の日でした。ロシアには森の散歩を好むひとが多いそうなので、地元のひとたちが歩いています。始発のトロリーバスに乗るひとも。
「唐突な行き止まり」に私は感激してしまい、どうすれば写真にできるだろうかと興奮していました。同時に自分の「絵心の種類」の少なさにあきれもしますが、いまさら現場で迷っていてもなんともなりません。
そうしているうちにどんどんと日が沈み始めます。街灯が灯るとどう見えるのだろう。そう思って暗くなるまでしばらく待つことにしました。
街灯が灯るとあたりはいっそう美しく見えました。暗くなっていろいろとよけいなものが見えなくなるからなおいいのでしょう。私の興奮は高まるばかりです。
ただし三脚はありません。そうなると必然的に現像時に増感処理を行うことを加味してフィルムの感度を上げて、手持ちで撮影できるシャッター速度にするほかありません。露出計以外は電池なしで作動する完全機械式のカメラで、マニュアルフォーカスのレンズですから、手ぶれ補正機構などという便利なものも備わっていません。だから気合と根性でなんとかするのみです。ふだんの生活で気合と根性を発揮することがないのですが、カメラを持っているときだけは私にもまれに発揮することができるのです。
「いま使わずにいつ使うのだ」
映画版『風の谷のナウシカ』で復活途上の巨神兵を使おうとしたクシャナが、参謀のクロトワに「殿下、まさかあれを。まだ早すぎます」といさめられていう台詞ですね。気合と根性はいまこそ必要なのだと、さすがの私にも感じられたわけです。
撮影条件が悪くても機材が適切ではなくても、シャッターを押さなければなにも写らないのです。
「夕景を見ても、写真家にはたそがれているひまなどはない」
これは、のちにkindle電子書籍『ぼろフォト解決シリーズ Sony RX100III プロの撮り方』で私が書いたカッコよさげな台詞です。ステルスマーケティングなどではなくれっきとした広告です。月額制読み放題のkindle unlimitedにも対応しておりますので、ぜひお買い求めくださいませ。
とにかく、慎重にカメラを構えてフィルムの残り枚数を気にしながらシャッターを切り続けました。
歩くたびにばりばりと氷が割れて鳴ります。滑って転ばないように気をつけながら、川岸から私も仮設の舟橋へ歩みを進めました。
対岸はトロイツェ=ルイコヴォ桟橋という遊覧船乗り場のようです。進行方向右側の下流側にはストロギンスキー遊水地という湖が広がっています。ブレジネフ時代に建てられたとおぼしき高層集合住宅街のなかを、路面電車が走っている姿も見えました。
これら「ブレジネフカ」とよばれる高層集合住宅の灯りがきらめいていて、映画『モスクワは涙を信じない』のエンディングシーンのよう。そこで流れる主題歌『アレクサンドラ』のメロディが聞こえてきそうです。妄想ですが。
下流を見るとソビエトふうの都市風景なのですが、上流側は木立とトロイツェ=ルイコヴォの至聖三者教会(Храм Троицы Живоначальной в Троице-Лыково)の塔が見えます。こちらはむかしながらのロシアの原風景といった感じ。
対岸の桟橋側に渡ってみると「氷上に降りるのは危険です!」という注意書きがありました。氷の上にはスキーの跡もずいぶんありますが、氷がそうとう厚く張る季節を選ばないとさすがにあぶないですよね。ポーランド映画『デカローグ』にも、高層集合住宅中庭の池の氷に乗って遊んでいた子どもが亡くなる話があります。それを思い出してひやっとしました。
それにしても、この柱の電球のソケットに電球があって灯っていれば、もっと絵になったのにと惜しまれます。電灯の球切れか盗難にあったのか。90年代ロシアだから、やむをえません。8月から暮らし始めて数ヶ月経っていたので、このころには街灯の電球切れなどには動じなくなっていました。
■いまはもう開発が進んだらしい
このあとは同じ道を戻るのがなんとなく惜しくなり、先に進んでいます。だから、この橋を渡ったのはこのときだけです。帰りも始発のトロリーバスに乗ってもよかったのに。
フィルムも使い果たしてしまいました。だから、この日はこのあとの写真がありません。
このあとは川岸から登ってみるとすぐに高層集合住宅街と道路があり、そこでバスの停留所を見つけました。停留所には地下鉄タガーンスコ=クラスノプレースネンスカヤ線の下車した駅のふたつ先の「シシューキンスカヤ駅」行きとあったので、そこでしばらくバスを待ち、やってきたそれに乗って帰宅しました。
地下鉄の駅は地上よりは冷えないはずですが、帰りのシシューキンスカヤ駅では寒いと感じたことは、どういうわけかよく覚えています。
それでも、今日はすごくいい場所を見つけてしまったというよろこびのほうが大きかったはず。だから、この日のこの場所のことだけはいまでも忘れられません。
「銀の森」のこの場所はこうして自分のお気に入りのひとつになったのですが、次に訪れたのは春になってから。そのときにはすでに川の氷も溶けていて、仮設の舟橋もなくなっていました。橋が架けられているのを見たのもこのときだけです。
2001年2月にもこの場所を訪ねているのですが、凍結した川はいちめん雪に埋もれていて真っ白でしたし、仮設の舟橋はありませんでした。
グーグル・マップでこの場所を探すと、いまはヨット乗り場と書かれていて、白いテントの建物ができているのが見えます。ヨット乗り場に設けられた観覧席かなにかのようで、おしゃれピープルがパーティをするような施設になっているようです。公園や町そのものの開発が進んでいろいろと整備されたようで、飲食店もずいぶん増えています。
「銀の森」のこの場所はこれからさきに、モスクワを訪問することができればあらためて行ってみたいところです。でも、いまではあのときの「唐突な行き止まり」で開けた「なにもない感じ」はすでに失われているようですから、思い出を壊すようなことにならないかという気もします。
「再開発がなされず不便だったころのほうが素敵に思えてよかった」というのは、住人にとっては無責任な旅人の身勝手な思い出ではあります。そのことはもちろん自覚しています。それに、訪問できる日がいつ来るのか、わからないというのに。
【撮影データ】
Nikon New FM2/AI Nikkor 35mm F2S, AI Nikkor 50mm f/1.4S/Kodak Academy 200(ISO3,200増感)/ILFORD ID-11/1994年12撮影
ここから先は
¥ 500
サポートいただけたらとてもありがたいです。記事内容に役立たせます!