#好きだった会社を新卒3年足らずで辞めた理由
前職や仕事のお話は、以前のnote.でもしたけれど、改めてここに書き留めておきたいと思います。
(少し重複してる箇所もあってすみません)
2020年1月から、
私は社会人として走るレールを変えた。
これまでいた場所がすきじゃなかった訳じゃない。それでもわたしは、確信に近い直感をもって、今の場所にいる。
2017年4月、
何かを生み出す、制作の仕事がしたくて、
新卒でイベントの企画制作会社に入った。
それからの日々は目まぐるしくて、
イベント本番日の明け方に校了する台本、真夏の体育館を長ズボンで走り回る現場、100ページを超える運営マニュアルの制作、25mのこいのぼりをしまうための箱探し、とか、そんなことをしていたらあっという間に時が流れていった。
「社畜じゃん」
そうかもしれないけど、でも仕事はすきだった。
すきになれない日もあったけど。
イベントは設営に丸々2日とかかける癖に、
撤収は半日もかからず終わってしまう。
あんなにたくさんデザイナーさんに修正してもらって、施工の人工さんに建ててもらったステージの壁面も、ブースをカッコよくするために高く積み上げたトラスも、あっという間に解体されてトラックへ。
それでも、色んなオトナたちが本気で、一生懸命に、時には怒ったり、泣いたり、追い詰められたりしながら、すごい熱量でつくりあげていく。この一瞬に、プロ意識を持って情熱を捧げるオトナがすきだった。
目の前のことしか見えなかった1年目、
ディレクションの意味を理解した2年目、
一通り任せてもらえるようになった3年目。
ここまで来たときに、やっとこれからのことを考える余裕が出来た。
先輩や上司にはめちゃくちゃ可愛がってもらったし、協力会社の皆さんも会えたら笑顔が溢れちゃうくらいすきなひとたち、へなちょこな私にも優しいクライアントさん。
多分このままここに居続けるシアワセもある。あともう1年頑張れば、台本を書いたり、演出や進行の勉強も出来て、新しいやりがいを感じるだろう。去年できなかったこと、次はきっと出来るようになる。
そんな風にその会社で自分の走っていく道筋が見えたときに、このままだと、わたしの心の底にある何かが満たされなくて、達成されないままなんじゃないかと思うようにもなった。
就活のとき、わたしは誰かを感動させるようなコンテンツを、クリエイティブをつくりたいって本気で思っていた。
もっというと、
高校生のとき、わたしは世界を変えたいと思っていた。生まれた国や地域で人生が決定付けられるこの世界と、偶然先進国日本の、普通の家庭に生まれたことによる自分の構造的暴力の加害者的立ち位置、そういうことから目を逸らしたくなかった。
前者はこれまでの仕事で満たされてもいたけど、
本当に自分の辿り着きたいゴールにいくには、もっともっと広い括りで制作やプロデュース進行をしなきゃいけないと思った。
後者はどんな仕事でも一生懸命やれば、世界の裏側のひとの笑顔まで繋がるって信じてやってきたけど、限りある人生で、怠惰なわたしが本質に辿り着くためには、アプローチを変えなきゃいけないと思った。
そうしてたどり着いたのが、
私が今いる場所だった。
詳しくは言えないけど(言ってもいいのかもしれないけど)、今の会社はイベントなどの手段に限らず、クリエイティブとマーケティングで社会や企業の課題を解決していくっていう。わたしにぴったりだよね?
転職してからら当たり前のように日々SDGsという単語を聞くし、多分みんな「世界は変えられる」って確信を持って仕事をしてる。
別に全ての人が仕事に情熱を捧げなくていいと思う。
みんなそれぞれの人生で、それぞれ大切にしたいものがある。わたしはそれがたまたま仕事だったんだと思う。だからきっと熱量をかけられる。それに仕事に救われてきた。苦しめられることも、サボることもあるけど、でも自分のエネルギーをこんなにぶつけられる場所があることに感謝します。
わたしの直感があっているかはわからない。
わたしが世界を変えられるのかもわからない。
このまま仕事をすきでいられるかもわからない。
もしかしたら、何もかも投げ出して、
全く違う場所を選ぶ日が来るかもしれない。
どうか、この先々で出会う人たちと共に何かを創り出せますように。役に立てるわたしでありますように。
18歳の時のわたしの希望が、
永遠になくなりませんように。
これまでの数々の偶然を、
自分の力で運命にできますように。
2020年3月13日
隠れたがる、自分の情熱と向き合って。