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映画「プリズン・サークル」を観て

日本の刑務所に初めてカメラが入ったドキュメンタリー映画。


ちょうど読んでいた、ブレイディみかこ著『他者の靴を履く―アナーキック・エンパシーのすすめ』の中で紹介されており、日本の刑務所の中で唯一そこだけで行われているという「TC (Therapeutic Community = 回復共同体)」というプログラムに非常に興味を持った。

TC
(セラピューティック・コミュニティ)

Therapeutic Communityの略。「治療共同体」と訳されることが多いが、日本語の「治療」は、医療的かつ固定した役割(医者―患者、治療者―被治療者)の印象が強いため、映画では「回復共同体」の訳語を当てたり、そのままTCと呼んだりしている。英国の精神病院で始まり、1960年代以降、米国や欧州各地に広まった。TCでは、依存症などの問題を症状と捉え、問題を抱える当事者を治療の主体とする。コミュニティ(共同体)が相互に影響を与え合い、新たな価値観や生き方を身につけること(ハビリテーション)によって、人間的成長を促す場とアプローチ。

そして先日、東京・田端にある小さな映画館 「Cinema Chupki TABATA」で鑑賞した。

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すごいものを観てしまった、と思った。

正直、観た直後は言葉を失った。

宮口幸治著『ケーキの切れない非行少年たち』と『どうしても頑張れない人たち』を読んでいたこともあり、加害者側の心理や生い立ち、知能や認知能力の低さについて予備知識がある状態で観たのだが、そうでない人にも是非観てほしい。そこに映し出されているのは生身の人間であり、決して遠い存在ではない。


4人の服役中の登場人物たち(いずれも20代男性)が、TCで他者との対話を通して自身の過去、犯した犯罪に正面から向き合うことで、新たな価値観や生き方を身につけていく姿が映し出されている。


全員が虐待やいじめ、貧困、ネグレクトなどの目を覆いたくなるくらい壮絶な過去を経験している。作中では彼らの過去の様子が砂絵でアニメーションになって描かれるのだが、いくらアニメーションであっても、観ているのが苦しかった。


登場する受刑者らは、最初自身の経験をうまく言語化できず、感じたことを感じたまま表現することが出来ない。また、嘘をついたり、物を盗んだりすることに対して「悪い」という感覚が持てない人もいる。むしろ、「自分の方が被害者だ」という感覚を持っていたりするのだ。TCではそうした価値観やある種「歪んだ」考え方を持つ加害者が、他の加害者や支援員と対話やロールプレイングを通して自分自身と向き合う。


自分自身と向き合う、と書くと綺麗事のようにも聞こえるが、登場人物たちはその言葉通り、「自分自身」と「向き合う」のだ。それは簡単なことではなく、小さい頃からの記憶を一つひとつたどり、ほぐしながら整理し、言語化する作業である。自分が生きてきた中で意識もしていなかった記憶や、心の外に追いやっていた思い出したくもない記憶を呼び起こすのだから、それは辛いだろう。対話の中で時に涙を流し、時に言葉を失いながら、記憶を再構築していく姿を見て、自分が今、加害者を見ているのか、被害者を見ているのかがわからなくなった。


臨床心理士の信田さよ子さんの言葉を借りると、

「言語化されない記憶は、しばしば自らを傷つけたり、他者を傷つける行為につながる。自覚されず言語化されない被害は、加害と表裏一体だといっていい。」


子どもの頃から自分の気持ちや考えを安心して表現する場所がなかったことが、その人物にどれだけの影響を及ぼすのかということを痛いほど突き付けられた。自分はたまたま恵まれていただけだったのだ、と。


社会の「外側」にいる人を、いまだに臭い物に蓋をする原理で閉じ込め、刑期が終わったらさようなら、をやっているのが日本の刑務所である。TCがすべての刑務所で行われるようになれば、受刑者が更生する機会を得て、さらに再犯率も下がるのであろうが、道のりはまだ長そうである。






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