(メモ)TOLAND VLOG浦島太郎考察(4)〜海洋民族の拠点・丹後国
前回は崇神の設置した「四道将軍」まで。
大彦:孝元天皇の第一皇子
武渟川別:孝元天皇の第一皇子である大彦の息子
吉備津彦:孝霊天皇の皇子
丹波道主:開化天皇の孫
続き。
大彦とは
孝元天皇の第一皇子。
異母兄弟である武埴安彦の反乱を抑えた。
息子は武渟川別。会津地方で落合東北へ行きそのまま国を作る。安倍氏の祖。
出雲王家の血を引く(意富比垝)、
→ 第一皇子であれば本来天皇になるべき人物。なぜ東北へ?
仮説
大彦と長髄彦は同一人物なのでは?
崇神天皇の時代に出雲族が排除されている。
自分の娘を祭祀王にした。
しかし出雲國の残党が各地で戦った(蝦夷)ので出雲系の大田田根子(形式的な祭祀長)を立てて大乱を収拾させた。
海洋民族の拠点丹波国は3分割される
広大だった丹波は大化の改新(645年)の後に「丹波」「丹後」「但馬」に分割された。
浦の島子の故郷である丹後国。
丹後国風土記
「浦の島子の子孫は日下部氏となった」。
日下部氏の起源は
・饒速日の子孫
・物部氏
・海幸彦の子孫=犬養氏=隼人
・大彦
つまり大和朝廷の敵側
丹波とツクヨミ
京都与謝郡 浦嶋神社(宇良神社)に浦の島子はツクヨミの子孫であると記載
ツクヨミ
鬼界カルデラ大噴火の際、大陸に逃げ、その後再来日。秦氏、徐福になった説。海洋民族。
丹後国は海洋民族の拠点。
羽衣伝説=機織りや酒造技術を伝えた。
ツクヨミ系トップがアメノホアカリ=饒速日
饒速日はその時点で出雲国のトップだった長髄彦を懐柔するために、女性祭祀王である市杵島姫(高照姫)と結婚して日本初代の統一王となった。
その子孫が海部氏。→ 籠神社宮司家
神武以前に、海部氏と古代出雲族が結びついて最初の王朝ができた。
島子は出雲族と海部氏の交わりによって誕生した初期王朝の末裔では?
(続く)
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