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天津金木学明治10〜12年(1877〜79)大和再遊へ。この頃から神秘学のおもむき。 天照とスサノオの子供、五彦御子誕生は近江なりと唱え、また三姫神は竹生島と云い、一般的な人々の理解及ばぬようになる。 近江野州(やす)より海路で蒲生郡の八幡に至る船中において水面に描かれた波紋を見て、言霊学における水茎文字を発見。
「言霊学」「天津金木学」においては故 大石凝真素美先生の研究なしには進まないだろうということがわかってきました。しかし現在手にできる文献や資料は極めて少なく、また門下生だった方々に関しても詳細を知るに至りません。 金井南龍氏が言及されたものから多少読み解けるので、こちらにメモ書きを残します。 大石凝真素美翁(先生)の生きた時代背景まで含めて考えることができるかと思います。