観客に誇れる現場から、いい作品を届けよう。
ハラスメント防止ポスター、協賛させていただきました。
わたしは、レミゼラブルで貧困と無知について考え、パレードやメンフィスで人種差別と戦うことを決意し、ラカージュ、プロム、ジェイミーで個人の尊厳は決して毀損されるべきじゃないって学んだの。自分にも物語があるのと同じように、周りの誰も彼もがそれぞれの物語の主人公だって知ったのもお芝居を見て、自分じゃない人の人生を生きる経験を何度も何度もしてきたから。
わたしが他人を大事にできるとしたら、それは、もちろん今まで家族や友人や周りのみんなに大事にしてもらったからもあるけれど、舞台芸術がわたしに他人を大事にすることの意味を教えてくれたから。
だから、それを教えてくれた舞台芸術を作る人、なかのひとも、誰1人尊厳を傷つけられてほしくない。
わたしたち観客をしあわせにしてくれて、大事なことを教えてくれてるその人たちが尊厳を傷つけられて血を流してたら、安心してのうのと観られないって気持ちになっちゃうよ。
一度ね、演出家のひとに、「ピカソはDVしてたし、モーツァルトはほらあの通り(モーツァルトの所業はミュージカルオタクみんな知ってる)。芸術ってやっぱりだれかを傷つけることを厭わない覚悟みたいなものが必要なのでしょうか?」って聞いたら、
「舞台芸術は1人で作る芸術じゃなくて、ありとあらゆる専門家が関わる総合芸術で、チームワークの芸術だから、関わる人がみんなハッピーであるかどうかが作品の良し悪しに現れるはず。」って言われて、
そっかそうだよねって思ったの。
昔の演出家は灰皿バンバン投げてたけど素晴らしい作品ができてたっていうけど、もし灰皿投げてなかったらもっとよかったんじゃないかと思うのよ。
なーんていうと、何が良くて何がダメかわからない。現場が萎縮しちゃう。って言われるかもしれない。
でも、何がいやか何がダメか、聞いて知って、伝えて話すことを、ちょっとづつやってくのはどうかねって思ってる。誰も窮屈じゃなくて、誰も傷つかない居場所はあるはずなのよ。うまい位置どりかんがえよ!わたしも考えるから教えてほしいの。
ぜんっっぜん意識してない言葉遣いが誰かにぐっさり突き刺さってたりってあるからね。それ止めるのは簡単じゃない?
大人の生存競争として、今のうちに変わっとくと3-5年後の好かれ度が変わってきて、結構生きやすく、仕事しやすくなるってのもある。
「変わるのは若者であるべきだ」って思ってると、あっという間に若者えらくなっちゃうからね。
そしてそれはそれとして、今まさに傷つけられててやばいって人は誰かに相談しなね!誰に?!って思ったらとりあえずわたしに!弁護士ってそういう時のためにいるのよ。ましてや友達ならもっとね!!友達じゃなくてもね。誰にも言ってほしくなかったら誰にも言わないから!!
みんなでここを居心地のいい場所にしてこ!!