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考察「100万本のバラ」

加藤登紀子さんの「百万本のバラ」という曲がある。
有名な名曲なのでご存じの方もおおいと思う。
貧しい画家が女優に恋をした。
画家は小さな家や画材を売り払い、町中の花屋から薔薇を買う。
そしてそれを女優が泊まるホテル前の広場に敷き詰める。
女優はどこかのお金持ちの冗談だと思った。
絵描きは窓から薔薇の海を見る彼女をそっと見上げていた。
二人の接点はそれで終わり。
女優は別の町へ去っていった。
絵描きはそれから孤独な人生を送った。
あの窓から薔薇の広場を驚きと喜びを込めた笑顔で見ている女優の顔だけが彼の心の支えになった。

なんて歌詞だ。
ドラマチックで、ふた昔ほどの前のフランスっぽい。
歌のイメージも歌い方もシャンソンっぽい。
薔薇に埋もれるはなやかな女優も孤独の中で寂しく生きる画家も、どちらも絵になる。
かなわぬ恋もまたドラマだ。

って思いながら聞いたが・・・
「出会いはそれで終わり~♪」
のところでつい突っ込んでしまった。
いや、名乗り出ろよ。
金持ちじゃなくて私ですよ~と。
終わりって、始まってもいないじゃん。
そりゃ、美しいでしょうよ。すべては妄想の中なんだからさ。

ついでに言うと、後片付けは誰がしたんだろう。
絵描きか?しなびた薔薇を片付けるのはみじめだろうな。
そこで名乗り出ていれば町の人も何らかのアクションが起こせる。
「かなうはずないじゃないか。バカな画家だ」
「ここまでしたのに振り向きもせず行ってしまう女優は薄情だ」
「どうしてそんなことをしたんだ。自分を傷つけるなんて」
何らかのアクションがあれば、その後の寂しい人生にも意味が出る。
もちろんもしかしたら気持ちが届くかもしれない。
女優はその町にとどまり、絵描きと暮らした・・・なんて結末もあるかもしれない。
しかし、だ。
名乗っていないのだ。町の人も「こんなことをしたのは誰だ?」
「あの金持ちか?」「自作自演らしいぞ」「映画の宣伝か?」「空から薔薇が降ってきたらしいぞ」「UFOか?」
なんてデマも飛んだことだろう。
全ては画家の独りよがりな妄想の結果だ。

そしてそこではたと気が付いた。
1本100円として100万本の薔薇の値段。1億円である。
画家が売ったのは小さな家と画材。どう考えても1億にはならない。
パリ市内の一軒家ならもしかしたらありかもしれないが、
女優は「別の町へ」去っていったのだから、パリではないだろう。
彼は自分の少ないと思っていた資産が1億円であることがわかり、手元に1億円が届いたとしたら・・・薔薇なんて買ってるわけがない。
そもそも「貧しい画家」と最初に自己紹介をしているのだ。
そんな資産を持っているのであれば貧しくはない。

ということで犯行の現実性が怪しくなってきた。
100万本の薔薇ではなく実際は1000本くらいだったのではないか?
もしかしたらこのストーリー自体がすべて彼の妄想なのではないか。
女優は本当に存在しているのか?

もちろん結論は見えない。
美しい一幅の絵画のような場面がみえるだけだ。
単純明快なストーリーは大人の歌というよりNHKのみんなのうたっぽい。

今回は「百万本のバラ」を考察してみました。
いや、ドライブ中に聞いててなんだか合点がいかなかったもんで。


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