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終わりは始まり-26歳-

全国大会敗退に終わった2シーズン目でしたが、次のシーズンに向けての準備期間(オフシーズン)となりました。
昨年は、妹の家に転がり込む作戦でしたが、そう何度もお世話になることはできません。

帰る場所も無いので、信州に残り有名旅館で住み込みながら、冬のシーズンまでで働く事に決めました。

旅館での生活は、とても新鮮で毎日充実していました。
仕事は主にフロント業務でした。しかし、小さな旅館だったので、出来ることは全てこなしました。館内やお部屋の掃除、お客様へ接客、お布団を敷いたり、お料理を運んだり…と、一日が忙しかったですが充実していました。

何よりも、旅館は大自然の中にあり、信州の山々に囲まれていました。
さらに、その地域では温泉が湧いていたので、内風呂はもちろん露天風呂も温泉で、一日の疲れがしっかりと取れました。

また、一日のスケジュールで『中抜け』の時間が4時間ほどありました。

滞在していた旅館の周囲の山々は、登山で有名な名山でした。しかし、山頂までの往復は数日がかりなので、到底お昼休みの4時間では登頂できません。
なので、途中まで登って、補食を食べて景色を満喫して、下山していました。
今思えば、それがトレーニングになっていたのだと思います。

私の目指しているもの、抱えている問題、色んなことを考えました。考えているうちに、急に家族が恋しくなりました。
両親に素晴らしい景色を見てもらいたい、食事と温泉を楽しんでもらいたい。
そうだ、両親の結婚記念日に招待しよう。
そう決めたら、何だかワクワクしてきました。

兄にお願いして、岡山から信州まで両親と一緒に車で来てもらいました。
上高地や乗鞍スカイライン(当時はマイカーで山頂へ行けました)の絶景を一緒に見ているうちに、数年間凍結していた親子の関係がみるみる元に戻っていきました。
そして、私が働いていた宿に泊まってもらい、両親の真珠婚式(結婚30周年)をお祝いしました。

家族の関係が修復されると、私のモチベーションはさらに上がっていきました。
オリンピックに出場するには、ナショナルチームに入らなきゃいけない。入るためには、SAJ(日本スキー連盟)主催のレースに出場しなきゃいけない。その為には、まずSAJに選手登録しなきゃいけない。
動く方向が決まってくると、後は行動に移すのみです。

冬のシーズンが入る前に岡山へ帰ることに決めました。
そして、岡山県スキー連盟と連絡を取り、私を受け入れてくれるチームを探しました。
チームの代表の方々ともお会いして、SAJの公認レースに参加申込みをしました。もちろん、JSBAの公認レースにも申し込みをしました。

そして、私のプロへの3度目の挑戦のシーズンが始まりました。

今度の冬は、応援してくれる(基本は放置でしたが、反対はされなくなった)家族がいます。良い方向に進んで行ってる予感がしました。

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