限界から始まる-24歳の冬-
45歳現役プロアスリート猪頭香緒里の自伝 #1
限界を感じる時ってどんな時なんだろう。
物理的な限界。心理的な限界。
大した運動歴もない私が最初にハマったのは、スノーボードでした。
大学生の時、冬が近づくと、テレビCMはスキー·スノーボード関連のモノが流れ、本屋に立ち寄ると、スキー·スノーボードの雑誌は一番目立つところへ置かれていました。
いわゆる、スノボーブームでした。
ブームに乗って、スノーボード始めると、たちまちそのスピード感に魅了されました。休日になればスノーボードをしに、ゲレンデへ通う日々を送りました。
大学卒業後に有名会社へ就職した私は、毎日の業務に追われながらも、スノーボードへの想いが諦めきれずにいました。
そんな中、物理的·心理的なきっかけがあり、限界を感じて、急遽会社を辞めることになりました。職を失い、当時の婚約者と婚約破棄となり、田舎の実家からは勘当され追い出され、人生初の挫折を味わいました。
しかし、心の内にあったスノーボードへの想いを思い出し、スキー場近くへ冬季移動しようと思いました。
いわゆる、山籠りです。
初めての山籠りは、長野県の白馬村へ決めました。決め手は、白馬村にあるスノーボードスクールの初の試みで、宿に泊まり込みながら1シーズンしっかりとスノーボードの技術を学ぶという、専門学校的なプログラムに惹かれたから。貯金を切り崩し、数カ月間集中して技術を学ぼうと決心しました。
そして、スノーボードインストラクターの資格を取得して、スノーボードの楽しさを地元で伝えたいという純粋な想いから、私のスノーボード時代が始まりました。
全ての事が初めてで新鮮で、毎日が充実していました。私の住んでいた実家の田舎町にも雪は降りますが、積雪は最高でも30センチ程度。
でも、白馬村では2メートルを超える積雪は当たり前の様にあり、除雪機も初めて見ました。
その冬のシーズン中盤で、スノーボードインストラクターB級の資格を取得しました。予定していた日程よりも早く目標達成してしまい、次の目標は何をしようと思っていた矢先、滞在先のスキー場で大会(レース)がありました。
スノーボードクロスという、新種目の大会です。
その当時、スノーボードのオリンピック種目といえば、アルペン、ハーフパイプの2種目でした。
スノーボードクロスとは何だろう?
って、思いつつ、とりあえずエントリー。
スタートして決められたコースを通り、最初にゴールにした人が勝ちという、わかりやすいルールでした。
大会当日、エントリー人数は多くなかったのですが、私の初優勝でした。
人生で初めての優勝。
スポーツ経験も無ければ、何かの賞を目指したことも無い私にとって、勝って賞品を貰うという経験は、初めて味わう快感でした。
今までにないモノを感じて、その冬のシーズンは終わりました。そして、地元に戻った私は、自分の進む方向が少し見えた気がしました。
そして、この冬の体験を、当時、私のスノーボードを応援してくれた友人へ話したところ、
スノーボードインストラクターよりも、スノーボードのプロ選手になったら?かっこいいし、今しかできないことだよ。プロ選手になってからインストラクターすればいいじゃん。
その一言で、スノーボードのプロ選手になろうって決めました。
全ての始まりは、この瞬間でした。
24歳の冬。
アスリートとしては、少し遅いスタートでした。