人を、愛してもいい

相手を、愛していたのは確かだ。

だから、
他の人は、愛せないと思っていた。
あれ以上の感情を、他の人に感じるわけがない、と思っていた。

でも、やっと、
他の人「も」、愛していいのだ、と理解した。

愛には、
いろんな種類がある。
1人を愛しているから、他の人は愛せない、はきっと違う。

旦那さんにも、家族としての愛がある。
子供たちにももちろんあるし、
他の人たちに対してだって、ある。
男女としての愛じゃなくても、
たくさんたくさん、まわりには愛がある。

片割れだから、
相手を信じ続けて、
愛し続けて、
私たちは、この苦難を乗り越えた先に、
共に生きる未来があり、
私たちが共に生きることにより、
自分もまわりも照らしていくのだと、 
それが出会った意味なのだ、と思っていた。

でも、
片割れじゃないから、愛せない、じゃないのだ。
それは愛とは違う。
片割れじゃなくても、
愛していいのだ。

片割れじゃなくても、
共に生きても、いいのだ。

私が家族に感じる愛も、
片割れに感じる愛も、
同じなんだ。

だったら私は、

また、家族みんなで、暮らしたい。

片割れへの強烈な想いは、
やっとやっと、薄れた。
愛は確かにあるけれど、
もう、共に生きていきたいという希望はなくなった。
今ならまた、家族みんなでやり直せる気がする。

もう、片割れを待たなくていいなら、
家族に愛を注ぎたい。

辛かった。
ずっと、
片割れへの想いが強烈だったから、
信じ続けて、待ち続けて、
内側でもがき続けて、葛藤してきて、
3年がたって、やっと、
内側に刻み込まれた存在が、
薄れてきた。

本当は、
家族をもっと大切にしたかったのに、
幸せにしたかったのに、
みんなをバラバラにして、
誰一人、幸せにできなかったから。

片割れじゃなくても、

私はもっと、
家族を、
人を、愛していきたい。

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