いつかその意味が分かる
桜井識子さんの8月31日のブログに、
人間の感覚では「不幸」と思われることが、実は「神様が本人を守っていた」というケースがあります。
とありました。
ここ最近、体調不良で仕事も遊びも何もかにもを諦めなくてはいけない時間を過ごしています。なんでこうなってしまったのか、神仏が好きで信仰していたつもりなのに、神仏は私を見放したのか?と思うことも。
これまで、お願いしたことは大抵叶えてもらえていたのに、今回は何で?どうして?と。
何か不幸だと思える出来事が起こった場合、じっくり考えてみることをおすすめします。考えてみても、もしかしたら、今は意味がわからないかもしれません。時間がたたなければ「なるほど」「そうだったのか」と理解ができないこともあるからです。
うん、そうなのかもしれない
【神が存在すると信じる、これが信仰心だが、神がすることを信じる、これも信仰心である】これは、太宰府天満宮にいる、菅原道真公神様の言葉です。(『神仏のみことば』という本に書いています)9月1日の記事
つらいつらいと、弱音を吐いたり、あんなに神様仏様のことが好きであちこち回っていたのに、これはどういうこと?と神仏は私を助けてくれないの?と不貞腐れている、今の私にズキンときました。
後でわかるんです、絶対。
少し分かってきたところもあります。
自分に足りなかったところや、この状況から学ぶべきことなど。
不幸と思えること、不運と思えることを、神様のせいにしない。
不幸と思えることがあれば、何か理由があるのだろうと捉える。
いつかわかる、だから私は腐らず、不貞腐れず、
「今ここ」をしっかり生きていくことにします。