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100年を生きた23分間~ ブラームスのピアノ協奏曲を演奏して垣間見た芸術の不滅性

ピアニシモで消え入るような三連符を弾きながら、私には、空間に漂う音の余韻が、なにか神秘的で、星屑のようなものに感じられた。これは一体どういうことだろう。わたしたちすべての奏者が、大きな宇宙の中の天体であるかのように思えた。

2022年2月22日は、おそらく私の後半生において最も鮮明な記憶が残る日のひとつになると思う。

千歳烏山のホールで、ブラームスのピアノ協奏曲を演奏したのだ。出会ってから心を捉えてやまないブラームスのピアノ協奏曲第1番。いつか演奏してみたい、と心密かに思っていた。

3楽章で50分にも及ぶ曲の長大さ、重厚さに加え、オクターブトリルという困難なテクニックを必要とし、プロの登竜門となるコンクールでも日本では課題曲になることは珍しい。当然長すぎてプログラムに組みにくいため、基本演奏されることが少ない。

ブラームスといえばバイオリンのほうの協奏曲が有名だろう。また、ピアノ協奏曲でも2番のほうがまだ演奏されている印象がある。2番もまたエベレストのようにそびえるブラームスの音楽の金字塔である。

でも私には1番しかありえなかった。なぜだかわからないが、要するに琴線に触れたということだ。

その魅力はうまく説明できないが、強いて言えば、オーケストラの3分以上続く重厚で壮大な前奏が静まり、ソリストのピアノがニ短調の密やかな声で登場するその瞬間が、人生有数のギャップ萌えだった。私、この曲と恋に落ちた! と。

生演奏は幸運にも直前である12月に地元で聞く機会があった。そのほかはCD、動画をひたすら聴く。ピアノに向かう練習が大事だが、独りよがりにならないよう、常によいものを(どうよいかはうまく言えないが、自分の美学に合うもの、そして先生のおすすめのアーティストのもの)聞くよう心がけた。

ちょうど一年前もショパンの1番を演奏させてもらうことができた。次にどうするか。それを考えている時、楽譜を買って10年以上たつブラームスをついにやってみようか。なぜかそう思った。

いやいや、モーツァルトを通して弾いてもいいじゃないか。いろいろ考えた。なので、それらをいろいろ弾いてみた。ただ、ブラームスを弾くと、一番心が震えたのだった。

3月から、ブラームスの1番、1楽章でレッスンを受け始めた。

先生、これなんですけど。と言いながら、私はおずおずと楽譜をピアニストの先生の前で開いた。先生は、はい、とあっさりとおっしゃった。

ブラームスのニ短調の協奏曲は難しいと言われるが、ラフマニノフの3番のような難しさとはまた難しさの性質が異なる。淡々と3連符が続く中に、いかに面白さを見出すか、オケとピアノ音は4つだけ、それでどう空間を満たすか、みたいなとても通好みの要素のある、極めて渋い作品なのだ。特に第一楽章は、重厚な前奏、雄大なソロがあり、それでいて、とても美しい。一つの楽章でも、色んな要素が味わえる、中身の濃い作品なのだ。

難しかった。巨匠に似合う作品を私が弾くには、まず手のひらの中の筋肉の張りから、もろもろのことを身につける必要があった。それ以外にも体中を無駄なく駆使する必要があった。それ、指で弾いちゃっていますよ。何度先生に言われたことだろう。

そんな感じで、まず楽譜通り弾くためだけでも何ヶ月もかかった。

でも楽しかった。初めて聞いた時に心を動かされた音楽を、まがりなりにも自分で弾いているからだ。コロナも2年目。今年はこれをやるしかない、と覚悟を決めた。

あっという間に時は流れ、12月に初めて電子ピアノの伴奏をしていただいて通して弾くことができた。まだまだ弾けてはいないが、ともかく通したということだ。

そしてレッスン。練習。レッスンで先生がセカンドを弾いてくださる機会も増えてきた。本当なら、先生がソロをお弾きになるべきなのに。語彙力を失うが、こんな贅沢なこと、大げさでなく、もう死んでもいいとさえ思える。

今回は、セカンドオピニオンならぬ、サード、フォースオピニオンまで、最終的に複数の先生からアドバイスをいただくことができた。それはとても良いことだったし、とても混乱することでもあった。なにしろすでに自分の力量がギリギリのところで弾いているブラームスである。すべてのアドバイスを同時に実践することなど簡単にできるわけがない。

そしてあれよあれよという間に、2月8日になった。ついにオーケストラとリハーサルをするのだ。

雷の落ちるような怒涛の前奏をオーケストラが奏で始める。グランドピアノの前で待つピアニストはわたし。

こんなことが現実であっていいのだろうか? わたしの望みひとつで、この曲をみんなで演奏している。とてもありがたかった。しかしそんな感動をするひまもなく、演奏は一心不乱である。その日はなぜかとても集中して、自分としては初めてなのに割合と良好に弾くことが出来た。楽しい、と終わったときに実感した。またやりたい。また皆さんと弾きたい。そう思えた。

そしてまたレッスン。ある日のレッスンでは、はじめに二台で通して、細かく各所レッスンをしていただいた上、最後にもう一度通しておきましょう、と先生がおっしゃった。内心、今までの私なら体力が持つか不安になるところだ。が、今回ははい、と言って覚悟を決めた。演奏に必要な力は体が出してくれると信じて。教わったことだけを考えて先生と一緒に通して弾かせていただいた。

弾き通すことができた。もしかしてこれなら、できるかもしれない。初めてそう思えた。今までの自分を超越できた瞬間。ブレークスルーだった。

オーケストラは2月8日のことを思い出して、この感じ。指揮の先生は背後で見えない。ピアノはベーゼンドルファーの最高機種インペリアル。区民会館のホールの舞台。

本番でどう演奏すべきか。テンポは? タッチは? タイミングは? 待ち時間はどう過ごす? 決めること、取り組むことがたくさんあった。

そして、本番までにどう練習して、それを調整していくか。練習しすぎて体が疲れすぎてもだめだし、今はなるべく練習したいし。

一日のうちに一度通すと、再現を求めてまた通したい衝動にかられるが、あまりよくない。それよりも、ときにはピアニシモでゆっくり弾いてみたりして、曲と向かい合ってみた。すると、終わってもまたこの曲と付き合ってもいいかもしれない、という気持が湧いてきた。(マジですか? 自分)

新曲ではあるが、今回わたしは暗譜で弾くことも決めていた。流れは頭と体に入っている。オーケストラの皆さんがいらっしゃれば、絶対できるはず、と考えた。もう、皆さん、信頼してますからね!

最後の最後、結局すべてをどうするのか。その部分は誰も教えてくれない。学んだことすべて、それまで身につけたことすべて、感じてきたことすべてを、楽団の方の音を聞きながら、統合するのは私なのだ。

当日の朝はお餅を二個焼いて、お醤油とスライスチーズを使った磯辺焼き。家を出るまでに体を整える体操をゆっくりと行った。

いよいよ音出しという、開演前に各自5分間だけオーケストラの皆さんとリハーサルをさせていただく時間がきた。

ピアノの入る2小節前から演奏していただき、その短い間に本来の3分間の前奏がある時と同じことを自分に再現する。2小節でも、序奏のある本番と同じように弾き始める。これはショパンのときもそうだったが、この5分の音出しために、何度も何度も何度も自分で練習してきたことだ。

ベーゼンドルファーは繊細なきらめきと重厚な響きで応じてくれた。5分はあっという間だった。まずまずいけそうだ。そう思った。あとは出番を待つだけである。

名前を呼ばれ、ステージに登場する。お辞儀をして椅子に座る。用意ができたらマエストロにアイコンタクトして演奏をはじめていただく。その間、この11年ほど、アレクサンダーテクニークの先生方から学んで練習して来たことを思い出していた。

アレクサンダーのレッスンも、ピアノのレッスンも、練習も、すべてはこのときのためだった。

オーケストラが怒涛の前奏から徐々に静謐なパッセージに入る。あの2小節のあと、かつて私がこの曲に一瞬で魅せられた、ピアノの冒頭が始まる。チャンスは一度だけ!!

弾き始めればもうそこは音のことだけを考える世界。心で歌い続け、弾きつづけるほかはない。

消えていくような三連符を弾きながら、初めてのレッスンで教わったことは、こういうことなんだ、とあらためて腑に落ちた。そして、冒頭に書いたように、キラキラと星屑が降るような、不思議な時空の中にわたしはいた。

マエストロが指揮台の上で大きく動かれると、舞台の板を通して、ピアノ椅子の上のわたしにも振動が感じられた。背後におられる先生の気配を心の目で見る。

そんなことを考え、星屑の時空を体験をしながらも、23分の大曲である。しんどいところも楽しいところも、もう全身全霊である。マエストロもオーケストラの皆さんも、全員がそうだ。そこには32人の静かなる熱狂だけがあった。

コーダが近づくと、のだめの千秋先輩のように、もう終わってしまう、という心の声がした。

終曲。フォルテシモのテュッティで幕を閉じた。

ああ、終わった。最後まで演奏できた。

わたしのピアノがどう聞いていただけたかはわからない。手元での音はあまり大きく聞こえないのだ。(あとで先生に伺ったところ、オケに埋もれずに音が出せていたそうです)

それでも、やり通すことができた充実感と、未知の感情で胸がいっぱいになった。

皆さんと実現したブラームスのコンチェルトの演奏。それは想像していたものを越えた時間だった。

23分間が、とても濃密で、100年分生きたように感じられた。

芸術、音楽は不滅だという。Timelessという言葉がある。

あの時皆さんと脳内で共有したあれ。

それは正に一瞬であり永遠だった。

私達にこれを見せるために作曲家はこの作品を作ってくれたんだ。

当時の科学通念がどういうものであったかわからないが、作曲家は宇宙から地球を見ていたのではないか。

彼はすでに世界の真理を知っていたのだ。

これが音楽の醍醐味、というものなのか。

ブラームスのピアノコンチェルトに挑戦した1年間でした。それは最後の最後、本番のステージ上で、わたしにまったく新しい境地の体験をプレゼントしてくれたのでした。

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Kaorin K.
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