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【No.32】キムツカシイ娘の話

初めて子供の文化祭に参加をした。
申し訳ないけれど、普段は運動会とかイベントに参加をするのは気乗りしない。たくさんの人がいて、並んだり挨拶したり、それだけで気疲れする。
授業参観などは普段の子供の様子を見られるから行っていたけれど、小学校高学年にもなるとあまり意味がないと思っていた。子供は親が来ると思うと仮面を被るし、先生もいつもとは違う授業をする。それを見ることに何の意味があるのか、と失礼ながら心の奥底では、この暇に本を読みたいとすら思っていた。

だけど、「お母さん、文化祭見に来る?」と高校2年の長女に言われた時には、「行く行く!」とノリノリで答えた。
娘が私にそんなことを言うのは稀である。授業参観の手紙は出さないし、来なくていいと常に言われているから、中学3年間、個人面談しか行かなかった。大学になる長男と、中2の次女だったら「どうしようかな」と気乗りしない返事をしていたけれど、長女はそこでそういう答えをすると、しばらく口を利いてもらえないという罰則が待ち受けていたりするから、どう答えてほしいかというのを相手の気持ちになって、必死に考えなくてはいけない。

昔から気難しい子で、癇癪を起こしたら最後、1時間でも2時間でも私の腕を叩きづけることができた恐るべきエネルギーの持ち主だ。
怒りというのは、エネルギーを使うし疲れる。だから、泣き喚き「続ける」ことのできる3歳の頃の娘は私には驚異でしかなかった。なんで、そんなことができるん? しんどいやん。ていうか、面倒臭くない? しかもなぜ怒られているのか当の母は分かっておらず、「そのエネルギーで発電できひんかな」とかアホなことを頭の中で考えているのだから、彼女の怒りは無駄でしかない。

しかし、彼女を激怒させているうちに、その理由はさっぱり分からないままだったけれど、彼女のプッツンボタンがどこにあるかは半分くらいわかるようになってきて、回避がうまくなってきた。怒ることもエネルギーの消耗だけれど、怒られるのも正直言って気分は良くない。

ここは、フツーの母親らしく文化祭に行くべき時であると私の経験値が告げている。AIより遥かに遅いけれど、私だって経験値に基づくアウトプットをできるように進化している。
平日は単身赴任で東京にいるから、週末帰ったら、鬼のように家事が待ち受けている。一日掛かるところを半分に諦めて、お昼頃に娘の学校へと向かった。

行ってから聞かされたのだが、土曜日に開催されるのは屋台と展示。本来文化祭にあるはずの劇などは木曜日にあるらしい。「なーんだ、物販だけか。じゃあ肝心のものはほとんどの人が見れないやん」というと「みんな両方とも来ているし」と娘は答える。

ああ、そうか。皆と同様であるということを娘は周囲に知らしめたかったのだ。娘が立っている屋台を見ると、いつもとは違う満面の笑みで友達とくっついていた娘が、「おかーさん」という。娘の友達も「まーちゃんのお母さん」と手を振ってくれる。そうでなくても眩しい笑顔に100均のキラキラシールを貼り付けた女子高生たちの写真を撮る。
祖父母や、弟妹も来ているようで、かんかん照りの酷暑の中、揚げたてのドーナツや焼きたての肉串などを頬張るクレージーな老若男女の賑わいである。
娘の屋台の商品は売り切れということで、がっかりしてママ友とクーラーの効いた食堂で1時間ほど喋って帰った。風船を青空に飛ばすフィナーレまでいる元気がなかった。暑すぎる。

それにしても、娘も成長したものだと思う。ベビースイミングに連れて行ったら、レッスンの45分間を泣き続け、幼稚園の1年半ものあいだ、むっつりと笑顔を見せずに馴染めなかった。フィリピンに英語レッスンに連れて行ったら、脱走したということもある。不登校になって小学校の校門まで連れて行ったら、ランドセルを投げつけられたという事件もまだ、記憶に新しいというのに。

ママ友からクラスで一番、にぎやか(うるさい)という噂を聞いて、正直びっくりしている。家でも、少しは気を遣ってくれたらいいんですがねぇ。いや、外で気をつかって、家で爆発させなければ、それで良いんですが。もう私と同じ背丈になっていて、叩かれたりするのはもう嫌だから。


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