夢で癒される。
先日、知人が亡くなった。
彼女はまだ30歳だった。
彼女と初めて出会ったのは、確か、私が長男出産後、1年も経たない頃だった。長男を連れて、いろんなところに出かけていた。
興味を持っていた、織物のワークショップを、彼女のお母さんが主催していて、それに参加したのが出会いのきっかけだった。
2歳になる前の長男を連れて、私はしばしば、彼女のお母さんに織物を学びに彼女の家へ出かけていた。
体調に自信がない、という彼女は、長時間、私たちと一緒にいることはなかったけど、お昼ご飯を一緒に食べたり、長男を連れて外にお散歩してくれたりしていた。優しくて、穏やかな様子だった。
その後も、彼女のお母さんの体調が思わしくないときに、お母さんの代わりに私に連絡をくれたりして、それほど深い交流はなかったものの、細く長く、連絡を取り合う仲だった。
私の前に出てくる時の彼女は、いつも穏やかで優しかった。
私は彼女のお母さんと親交が深かったために、彼女のこと自身に触れることはあまりなかったけど、彼女のことを心配するお母さんから、彼女の話はよく聞いていたし、なんだか近しい関係のような気持ちを持っていた。
そんな彼女が亡くなった。
まだ30歳だった。
私は悲しくて、悲しくて、寝られないことなんて、普段はほとんどないのに、なかなか寝付けずにいた。
両隣にいる息子たちに挟まれて、温かく、いつでも寝落ちしてしまう私なのに、本当に珍しく、涙をずっとこらえながら布団に入っていた。
どれくらいの時間寝られなかったのかわからないけど、私はその夜、夢を見た。
亡くなった彼女が出てきてくれた。
彼女は、いつものように、穏やかで優しく、私を見つめた。
そして亡くなる2日前の設定の夢だった。
彼女は、私に、亡くなるまで、彼女を抱っこさせてくれた。
苦しそうでもなくて、ただただ穏やかで、柔らかくてあったかい彼女を抱いて、私はなぜか、彼女のお葬式会場に向かった。
そして、会場のほんの手前で、突然、彼女が消えた。私の腕の中が、急に空っぽになった。
私は悲しくて泣き出しそうになった。すると、そのお葬式会場には、私がこれまで出会ってきた、大学時代のサークルの先輩や、ゼミの先輩、いろんなつながりの人がたくさんいて、皆が一斉に、私を慰めてくれた。
とても賑やかで温かい雰囲気で、私は深い悲しみを感じることなく、彼女のお葬式に参列した。不思議な場だった。
私はここで、目を覚ました。
朝になると、夜に感じた寝られないほどの悲しさを感じていなかった。
むしろ、私は、彼女がとても優しくて、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
私の勝手な解釈かもしれないけど、彼女は、私の夢の中に来てくれて、私を慰めてくれた と感じた。
不思議な夢だった。
起きたその日、午前中に彼女のお葬式に赴いた。
若い彼女の死を悼み、誰もが悲しみを深めていた。私も泣いた。
けれども、寝られなかった昨晩のような悲しみよりも、もしかしたら、彼女の痛みが解放されたのかもしれない、という気持ちと、彼女と出会えたことへの感謝と喜び、も同時に抱いていたように思う。
生まれてくれて、ありがとう。
出会ってくれて、ありがとう。
いつまでも、私は彼女のことを忘れない。
亡くなった方が、夢の中に出てきて、私に声をかけてくれたり、背中を押してくれたり、励ましてくれる ということが、そう頻繁ではないけれど、時として、ある。
だから私にとって、夢とはただの夢ではなく、現実と強くつながった世界なのだ。
現実と夢、夢と現実を行き来しながら、私は生きている。